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研究者の道を捨てた僕は、カオス真っ只中のベンチャーで自分の道を切り拓いてきた – アディッシュ株式会社代表取締役 江戸浩樹

  • 最終更新: 2022年5月23日

「人生で大切にしたいことは何ですか?」
そう質問されて、すぐに答えられる人は多くないかもしれません。
しかし、人生は選択の連続と言われるように、日々のさまざまな選択が自分の人生を作っていきます。自分が大切にしたいことが明確になっていれば、必要な選択をすることができるのではないでしょうか?
今回お話を伺ったのは、ガイアックスに最初の新卒として入社し、現在はアディッシュ株式会社の代表取締役を務める江戸浩樹(えど ひろき)さん。大学では生命化学・工学を学び、研究者の道を志していた江戸さんは、「ビジネスの世界に興味はなかった」と言います。
江戸さんは当時創業4年のガイアックスに入社し、新規事業の立ち上げ、部署の子会社化、代表取締役として会社を上場させる経験をしています。
その裏にはなかなか結果が出ずに苦労しながらも、自分の人生と、関わる人たちの人生に向き合い続けた江戸さんの姿がありました。

さまざまな選択肢がある中で、自分の軸を大事にし、進む道を選択した

ベンチャーに飛び込んだのは、「ゼロベースから作り上げること」が好きだったから

荒井:まず自己紹介をお願いします。
江戸:アディッシュの代表をしております、江戸と申します。2004年にガイアックスに新卒第1号世代として入社して、そこからいろんな経験をさせてもらって、2014年にアディッシュを作り、今に至ります。
荒井:最初の新卒だったんですね。江戸さんはどんな大学生活を送っていましたか?
江戸:もともと生まれが石川県で、大学から東京に来ました。学生時代はバイオ系の研究をしており、ビジネスには興味もなく、普通に研究職になると思っていました。
理系なので実験もがっつりしつつ、サークルはオーケストラでコンサートマスターをしたりと忙しく過ごしていました。
大学3年生の時に就職活動を始めてみたのですが、研究の道を行くか、あるいはビジネスの世界に飛び込むかで悩みまして。ビジネスの道の中であれば、いわゆる戦略コンサルや商社で力をつけていくパターンか、ベンチャーに入って体感していくパターンもあるなと考えていましたね。
また、もしビジネスの世界に行くなら、自分で事業をつくったり主体的に関わることがしたいと思っていたので、就職を通じてそうしたことができる人になろうというのは就職の軸として最初に決めていました。
荒井:大学に入学した時はビジネスに関わるイメージがなかったところから、事業をつくるようになりたいと思ったのは何かきっかけがあったんですか?
江戸:もともと、ゼロベースで発案して実行できるメンバーを集めて、そこから企画を練って、集まってくれる人を探してプロジェクトとして実行していくことが好きだったんです。学生時代はサークル活動だけでなく、大学の垣根を超えたイベントを企画して実行していました。東京と関西から人を集めて、富士山に集合して一緒に登ったり。なので、ビジネスの世界に行くなら事業をつくる方が面白そうだと思っていましたね。

「自分のことは自分で決める」。親には反対されたけど、自分がいいと思うことを選択した

荒井:当時、まだ上場もしていない創業4年目のガイアックスに決めたのはどうしてですか?
江戸:振り返ると、自分の信頼する人からの言葉が入社の後押しになっていましたね。ビジネス方面だけでなく、研究職も含めたそれぞれの選択肢の人たちへいろいろとお話を聞きに行こうと思って、著名な研究者のいる研究室や先輩がたくさんいた大企業にも足を運びました。ただベンチャーだけはつながりがなかったので、インターン斡旋のNPO法人に相談したところ、一番最初に紹介されたのがガイアックスだったんです。
NPO法人の方といろいろ話した末に「すごく変わった会社があって、他の人にはあまりオススメはしないんだけど君ならいいかもね」とガイアックスを紹介されて。
そんな具合で各方面に「こういう人たちがいるんだ」「将来、こういう状態になるんだろうな」と想像しながら話を聞いていたのですが、どのジャンルでも僕が「この人いいな」と思う人から「君はベンチャーに行った方がいいんじゃない?」と口を揃えてオススメされて。
「自分の信頼する人がそう言うなら、そうなんじゃないかな」って僕自身も思っていたし、もし失敗したとしてもまた研究の道に戻ることもできるから、なんとかなるはずだ!と心を決めて、ガイアックスに飛び込みました。
荒井:東大で、オーケストラのコンサートマスター。いわゆるエリートですよね。ベンチャーに飛び込むことに対する周りの反応はどうでしたか?
江戸:親は大反対でしたね。親は僕が厚生労働省の役人になると思い込んでいたから、「何のために東京に行かせたと思っているんだ?」と。
でも、仲のいい友達は「お前はそんな感じだよね」という反応でしたね。
僕は「自分のことは自分で決める」と昔から思っていたので、迷いもそれほどなく譲りませんでした。

錚々たるメンバーとのシェアハウス暮らしで、「当たり前」のレベルが高まった

荒井:当時のガイアックスはどんな様子でしたか?
江戸:とんでもないカオスでしたよ。オフィスで寝泊まりしていたし。
最初は一人暮らしをしていたのですが、2年目くらいに当時の上司に「みんなで暮らすようにしようと思うから、お前も来て」と言われて、一緒に暮らしていました。
職場でも家でも上司と一緒で、24時間仕事していましたね。今は許されないんじゃないかな。
ただ、今思うとすごいメンバーに囲まれていて、シェアハウスで一緒だった人たちには影響を受けていますね。
荒井:どんなメンバーで暮らしていたんですか?
江戸:当時の上長だった、今のAppBank代表の村井さん、AppBank前社長の宮下さん、ADDress代表の佐別当さん、ピクスタ社長の古俣さん、LITALICO代表の長谷川さんに、トラベル系のポータルサイトを立ち上げてDeNAにバイアウトした井出さんもいたし、インターン生も5〜6人いました。
当時はみんな単なるガイアックスの会社員でしたけどね。「何かやってやろう」と思っている人たちが多かったので、それぞれのやり方を見ていて勉強になったし、自分の中の「当たり前」のレベルが引き上げられた感じがします。

研究者の道を捨てた僕は、カオス真っ只中のベンチャーで、自分の道を切り拓いてきた
研究者の道を捨てた僕は、カオス真っ只中のベンチャーで、自分の道を切り拓いてきた

仕事で結果が出なかった僕を変えたのは「感謝」だった

研究の道を捨てて飛び込んだビジネスの世界で、なんとか結果を出したいと思っていた

荒井:当時の江戸さんはどんな感じで仕事をしていましたか?
江戸:本当にダメでしたね。そもそも仕事ができないし、セールスをしても結果が出ない。特にアウトプットが出ていなかった時期は辛かったですね。見捨てられてもおかしくなかったと思います。
ただ、もともと自分で何かやりたい気持ちはあったから、ガッツだけはあったんですよね。スキルはないけどやる気だけはある。
僕の場合、最初のスタートで研究の道を捨てて飛び込んで来ているわけで。結果が出ないと「何のために」となってしまう。3年くらいはとりあえず走り続けて、ダメだったら実家に帰ろうと本当に思っていました。
入社して3年くらいが経ち、そろそろ自分がチームを持てたり、事業など継続的に伸ばしていくものがつくれなければダメだなと思っていました。それなのに仕事をしていても結果が出なくて、いろんな人に相談していたんですよ。
昔からお付き合いのある年上の偉い方に相談しに行った時、多少慰めてもらえるかと思っていたのですが、「お前みたいなのとは仕事したくないね」とボロクソに言われてしまった。「人と一緒に何かをする時にお前には感謝がない。そんな奴とは仕事したくない」と。辛かったですね(笑)

「感謝ができる人」になるために選んだ本屋のアルバイトで、「人生を考える時間」も作れた

江戸:そこで、「そうか。僕は感謝がないのか」と、言われたことを真正面から受け止めました。そして、人に感謝をできるようになろうと思い、修行のために始めたのが本屋でのアルバイトでした(笑)
とりあえず「ありがとうございます」という言葉を言い続けようと思ったんですよね。何もないのに言うのは危ない人みたいなので、オペレーショナルに「ありがとうございます」を言い続けられる場所に自分を置いてみようと思ったんです。
荒井:オペレーショナルに言い続けることで、感謝ができるようになると思ったんですか?
江戸:自分の中では人に感謝しているつもりだったんですよ。それが伝わっていないということだと思ったので、伝える練習をしようと考えました。
バイオリンだって、最初からいい音を出そうとしてもうまくいかなくて、何度も練習して初めてうまくなります。僕は、何事も最初から質を求めるより、量が質を生むというのが正しいと思っていて。
だから感謝することも量をこなしたいと思ったんだけど、伝える相手が必要じゃないですか。普段の仕事だと、いつも知っている相手になってしまうので量がこなせないんです。
小売店だったら1日に何十回と接客するわけだから、本屋でアルバイトすることは合理的だと思ったんですよ。
それに、本屋だったら立っている時間も長そうだし、考える時間もできるんじゃないかと思いました。
家にいると、考える時間を取ろうと思っても他のいろんなものが入って来ちゃうから、強制的に考える時間を取ろうと思ったんです。もう時効かなと思って言っちゃいますけど、当時会社には内緒にして、半年間くらいは土日も働いていましたね。
荒井:考える時間ができて、実際に変化はありましたか?
江戸:やってよかったです。接客ではお客様にいろいろとお伝えするわけですけど、伝え方を工夫するにしても、相手を観察しないといけないですよね。バイト先は空港の本屋だったので、フライトの時間が迫っている場合は急いでいる人にはいろいろと言う必要はないし、逆にちょっと時間のある人は会話をしたがっていたり。
その人がどういう状況で、どういう本を買っているかとか。そこから、ちょっとした言い方や言う内容を変えるだけで反応が違ったりする。そこでの経験がかなり役立ちました。
また、自分で考える時間もあったので、「僕はこのままでいいんだろうか?」「ビジネスの世界に飛び込んで3年くらい経つけど、思い描いていた姿に近づいてないな」「結果が出ている人はどうやっているんだろう?」とか、自分の人生について考えていました。

本屋での修行を経て、相手に思いを馳せることできるようになったことが仕事の結果につながった

荒井:本屋でアルバイトをして、そこからはいい形で仕事が回りはじめたんですか?
江戸:はい、相手の状況を自然と考えられるようになりはじめていましたね。当時のガイアックスは商品として提案するものも何もなく、逆に何でも提案できるような状況だったんです。それなら、相手が必要としているものを提案するのが当然最も響くわけじゃないですか?
言い換えれば、相手の状況を観察して「何を解決したいと思っているか?」「何を提案したら響くか?」を考えられる絶好の機会がゴロゴロ転がっているという。
その考え方は、お客さんだけでなく仕事するメンバーに対しても同じでした。新しく立ち上げるサービスを手伝ってもらう義理が他にメンバーにない状況でも、協力してもらわないと次に向かえない時があって。
そうした時に、そのサービスがあることで会社だけでなく、関わるメンバーにとっても「いいポイント」を見つけ出して、どうしたら相手に協力してもらえるかを事前に考えないといけない。
それができるほど、自分起点の提案がメンバーみんなにとっていいものになるんです。
このような形で「これを進めていくとこうなるな」という感覚が自分の中で掴めていけるようになり、その頃を皮切りに結果も想像以上に出るようになった。
荒井:江戸さんはよく会議中に「だってこうなっちゃうもんね」と言っていた記憶があります。どうしてそういう予測が立つんだろう?と不思議でした。

手を上げたからにはやるしかない。見切り発車ではじめたサービスがアディッシュの前身になった

開発案件で大きな資金を稼ぎつつ、コツコツと運用系の事業づくりをしていた

荒井:どういうタイミングで成果が出はじめていたのでしょうか?
江戸:成果が出はじめたのは3〜4年目くらいですかね。当時のガイアックスはゲーム事業が全て当たらず、大赤字を出していました。事業の撤退が続いて会社が潰れかけていたので、何か新たに事業をつくらないといけないし、いろんな人が辞めていったタイミングでもあり……。会社は絶不調でしたが、だからこそ変化が求められるこのフェーズは、僕にとってチャンスだったんです。
何かしないと会社が潰れてしまうから、各々が了承ももらわずに「これやります」と手を上げているような状況だったので、何か上手く立ち上げられれば大きな機会になるなと。
そういった考えがあったので、僕も「やります」と手を挙げました。今でいうSNSのようなコミュニティサイトの開発をしていたんですけど、「開発案件を持ってきます」と言ったり。アテはなくても、見切り発車的に会議で発表していました。
実は、その時に立ち上げたサービスがアディッシュの前身になっています。
荒井:最初に立ち上げた事業が今も続いているということですか?
江戸:いえ、最初は運用系のサービスもやっていました。現在アディッシュで提供している誹謗中傷対策やカスタマーサポートのような運用系のサービスは積み上げ型なので、すぐに大きな売り上げにはならないんですよ。なので、そちらはそちらでコツコツとやりながら、開発案件を同時にやっていました。
お金がなかったので、当時はコミュニティサイトを受託開発して一定を稼ぎつつ、運用系のサービスを立ち上げて徐々に事業を大きくしていった感じですね。
事業として広がってきたなと思ったのは、そこからさらに2〜3年くらい経ってからでした。

後編のブログはこちら:「関係の質が成果の質を生む」仕事は人生の大事な一部だから、人と向き合い、チームを大切にする

インタビュアー:荒井智子
ライター:黒岩麻衣

編集後記

感謝がないと言われたことを素直に受け止め、本屋で修行をした江戸さん。
「自分のことは自分で決める」というブレない軸があり、必要なことを考えて実行する柔軟さもある。アディッシュの杉之原さんといい、一見突飛に見えることでも実行してみると、道が拓けていくのかも?

このインタビュー記事の動画も是非ご覧ください


Vision Notes Episode 3 – アディッシュ株式会社代表取締役 江戸浩樹
『「関係の質が成果の質を生む」研究者の道を捨てベンチャー入社した上場企業社長の物語』


投資先経営者
1. 「やりたいことがなかった」私が、上場ベンチャーの女性役員になるまでのファーストキャリア – アディッシュ株式会社取締役 杉之原明子
2. 悩んで、向き合い続けたからこそ切り開けた、上場ベンチャーの女性役員というキャリア – アディッシュ株式会社取締役 杉之原明子
3. 上場を経験したからこそできる、「身近な社外の女性役員」という役割 – アディッシュ株式会社取締役 杉之原明子
4. 研究者の道を捨てた僕は、カオス真っ只中のベンチャーで自分の道を切り拓いてきた – アディッシュ株式会社代表取締役 江戸浩樹
5. 「関係の質が成果の質を生む」仕事は人生の大事な一部だから、人と向き合い、チームを大切にする – アディッシュ株式会社代表取締役 江戸浩樹
6. 27歳にして上場ITベンチャー企業の取締役になった人の「新人時代」とは? – アディッシュ株式会社取締役 松田光希
7. 27歳で取締役としてベンチャー企業の上場を経験して見えた景色 – アディッシュ株式会社取締役 松田光希
8. 情熱が成長曲線を左右する。意図を持つことで働き方は変わる – 株式会社Tokyo Otaku Mode 代表取締役社長 小高 奈皇光
9. 人間は、人間らしく働こう。 情熱を持って“自分の”ど真ん中を走り続ける – 株式会社Tokyo Otaku Mode 代表取締役社長 小高 奈皇光
10. 都内7.4%が導入するスマートロックを生んだ男|起業までの道のり ー 株式会社Photosynth代表取締役社長 河瀬航大
11. “キーレス社会”を実現する|70億円調達、会社を率いた6年半 ー 株式会社Photosynth代表取締役社長 河瀬航大
12. 会社づくりもデザインの一環、漫画家の道から起業家へ – 株式会社TRUSTDOCK 代表取締役 千葉孝浩
13. 全力の挫折経験が直感力を磨き、TRUSTDOCKという勝負への道を切り拓いた – 株式会社TRUSTDOCK 代表取締役 千葉孝浩
14. 新時代の価値を生み出す人は20代に何をしていたか ー 株式会社アドレス代表取締役社長 佐別当隆志
15. 定額住み放題サービスADDressが切り拓く、これまでの延長線上“じゃない”未来 ー 株式会社アドレス代表取締役社長 佐別当隆志
江戸 浩樹
2004年に株式会社ガイアックス入社後、インターネットモニタリング事業、学校非公式サイト対策事業、ソーシャルアプリサポート事業の立ち上げを経て、2014年にアディッシュ株式会社を設立、代表取締役に就任。アディッシュプラス株式会社取締役、adish International Corporation取締役会長、一般財団法人全国SNSカウンセリング協議会理事(以上、現任)。東京大学農学部生命化学・工学専修卒。
adishカーブアウト制度ガイアックス卒業生ビジネスプロデューサー職投資先経営者
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  • 最終更新: 2022年5月23日

「人生で大切にしたいことは何ですか?」
そう質問されて、すぐに答えられる人は多くないかもしれません。
しかし、人生は選択の連続と言われるように、日々のさまざまな選択が自分の人生を作っていきます。自分が大切にしたいことが明確になっていれば、必要な選択をすることができるのではないでしょうか?
今回お話を伺ったのは、ガイアックスに最初の新卒として入社し、現在はアディッシュ株式会社の代表取締役を務める江戸浩樹(えど ひろき)さん。大学では生命化学・工学を学び、研究者の道を志していた江戸さんは、「ビジネスの世界に興味はなかった」と言います。
江戸さんは当時創業4年のガイアックスに入社し、新規事業の立ち上げ、部署の子会社化、代表取締役として会社を上場させる経験をしています。
その裏にはなかなか結果が出ずに苦労しながらも、自分の人生と、関わる人たちの人生に向き合い続けた江戸さんの姿がありました。

さまざまな選択肢がある中で、自分の軸を大事にし、進む道を選択した

ベンチャーに飛び込んだのは、「ゼロベースから作り上げること」が好きだったから

荒井:まず自己紹介をお願いします。
江戸:アディッシュの代表をしております、江戸と申します。2004年にガイアックスに新卒第1号世代として入社して、そこからいろんな経験をさせてもらって、2014年にアディッシュを作り、今に至ります。
荒井:最初の新卒だったんですね。江戸さんはどんな大学生活を送っていましたか?
江戸:もともと生まれが石川県で、大学から東京に来ました。学生時代はバイオ系の研究をしており、ビジネスには興味もなく、普通に研究職になると思っていました。
理系なので実験もがっつりしつつ、サークルはオーケストラでコンサートマスターをしたりと忙しく過ごしていました。
大学3年生の時に就職活動を始めてみたのですが、研究の道を行くか、あるいはビジネスの世界に飛び込むかで悩みまして。ビジネスの道の中であれば、いわゆる戦略コンサルや商社で力をつけていくパターンか、ベンチャーに入って体感していくパターンもあるなと考えていましたね。
また、もしビジネスの世界に行くなら、自分で事業をつくったり主体的に関わることがしたいと思っていたので、就職を通じてそうしたことができる人になろうというのは就職の軸として最初に決めていました。
荒井:大学に入学した時はビジネスに関わるイメージがなかったところから、事業をつくるようになりたいと思ったのは何かきっかけがあったんですか?
江戸:もともと、ゼロベースで発案して実行できるメンバーを集めて、そこから企画を練って、集まってくれる人を探してプロジェクトとして実行していくことが好きだったんです。学生時代はサークル活動だけでなく、大学の垣根を超えたイベントを企画して実行していました。東京と関西から人を集めて、富士山に集合して一緒に登ったり。なので、ビジネスの世界に行くなら事業をつくる方が面白そうだと思っていましたね。

「自分のことは自分で決める」。親には反対されたけど、自分がいいと思うことを選択した

荒井:当時、まだ上場もしていない創業4年目のガイアックスに決めたのはどうしてですか?
江戸:振り返ると、自分の信頼する人からの言葉が入社の後押しになっていましたね。ビジネス方面だけでなく、研究職も含めたそれぞれの選択肢の人たちへいろいろとお話を聞きに行こうと思って、著名な研究者のいる研究室や先輩がたくさんいた大企業にも足を運びました。ただベンチャーだけはつながりがなかったので、インターン斡旋のNPO法人に相談したところ、一番最初に紹介されたのがガイアックスだったんです。
NPO法人の方といろいろ話した末に「すごく変わった会社があって、他の人にはあまりオススメはしないんだけど君ならいいかもね」とガイアックスを紹介されて。
そんな具合で各方面に「こういう人たちがいるんだ」「将来、こういう状態になるんだろうな」と想像しながら話を聞いていたのですが、どのジャンルでも僕が「この人いいな」と思う人から「君はベンチャーに行った方がいいんじゃない?」と口を揃えてオススメされて。
「自分の信頼する人がそう言うなら、そうなんじゃないかな」って僕自身も思っていたし、もし失敗したとしてもまた研究の道に戻ることもできるから、なんとかなるはずだ!と心を決めて、ガイアックスに飛び込みました。
荒井:東大で、オーケストラのコンサートマスター。いわゆるエリートですよね。ベンチャーに飛び込むことに対する周りの反応はどうでしたか?
江戸:親は大反対でしたね。親は僕が厚生労働省の役人になると思い込んでいたから、「何のために東京に行かせたと思っているんだ?」と。
でも、仲のいい友達は「お前はそんな感じだよね」という反応でしたね。
僕は「自分のことは自分で決める」と昔から思っていたので、迷いもそれほどなく譲りませんでした。

錚々たるメンバーとのシェアハウス暮らしで、「当たり前」のレベルが高まった

荒井:当時のガイアックスはどんな様子でしたか?
江戸:とんでもないカオスでしたよ。オフィスで寝泊まりしていたし。
最初は一人暮らしをしていたのですが、2年目くらいに当時の上司に「みんなで暮らすようにしようと思うから、お前も来て」と言われて、一緒に暮らしていました。
職場でも家でも上司と一緒で、24時間仕事していましたね。今は許されないんじゃないかな。
ただ、今思うとすごいメンバーに囲まれていて、シェアハウスで一緒だった人たちには影響を受けていますね。
荒井:どんなメンバーで暮らしていたんですか?
江戸:当時の上長だった、今のAppBank代表の村井さん、AppBank前社長の宮下さん、ADDress代表の佐別当さん、ピクスタ社長の古俣さん、LITALICO代表の長谷川さんに、トラベル系のポータルサイトを立ち上げてDeNAにバイアウトした井出さんもいたし、インターン生も5〜6人いました。
当時はみんな単なるガイアックスの会社員でしたけどね。「何かやってやろう」と思っている人たちが多かったので、それぞれのやり方を見ていて勉強になったし、自分の中の「当たり前」のレベルが引き上げられた感じがします。

研究者の道を捨てた僕は、カオス真っ只中のベンチャーで、自分の道を切り拓いてきた
研究者の道を捨てた僕は、カオス真っ只中のベンチャーで、自分の道を切り拓いてきた

仕事で結果が出なかった僕を変えたのは「感謝」だった

研究の道を捨てて飛び込んだビジネスの世界で、なんとか結果を出したいと思っていた

荒井:当時の江戸さんはどんな感じで仕事をしていましたか?
江戸:本当にダメでしたね。そもそも仕事ができないし、セールスをしても結果が出ない。特にアウトプットが出ていなかった時期は辛かったですね。見捨てられてもおかしくなかったと思います。
ただ、もともと自分で何かやりたい気持ちはあったから、ガッツだけはあったんですよね。スキルはないけどやる気だけはある。
僕の場合、最初のスタートで研究の道を捨てて飛び込んで来ているわけで。結果が出ないと「何のために」となってしまう。3年くらいはとりあえず走り続けて、ダメだったら実家に帰ろうと本当に思っていました。
入社して3年くらいが経ち、そろそろ自分がチームを持てたり、事業など継続的に伸ばしていくものがつくれなければダメだなと思っていました。それなのに仕事をしていても結果が出なくて、いろんな人に相談していたんですよ。
昔からお付き合いのある年上の偉い方に相談しに行った時、多少慰めてもらえるかと思っていたのですが、「お前みたいなのとは仕事したくないね」とボロクソに言われてしまった。「人と一緒に何かをする時にお前には感謝がない。そんな奴とは仕事したくない」と。辛かったですね(笑)

「感謝ができる人」になるために選んだ本屋のアルバイトで、「人生を考える時間」も作れた

江戸:そこで、「そうか。僕は感謝がないのか」と、言われたことを真正面から受け止めました。そして、人に感謝をできるようになろうと思い、修行のために始めたのが本屋でのアルバイトでした(笑)
とりあえず「ありがとうございます」という言葉を言い続けようと思ったんですよね。何もないのに言うのは危ない人みたいなので、オペレーショナルに「ありがとうございます」を言い続けられる場所に自分を置いてみようと思ったんです。
荒井:オペレーショナルに言い続けることで、感謝ができるようになると思ったんですか?
江戸:自分の中では人に感謝しているつもりだったんですよ。それが伝わっていないということだと思ったので、伝える練習をしようと考えました。
バイオリンだって、最初からいい音を出そうとしてもうまくいかなくて、何度も練習して初めてうまくなります。僕は、何事も最初から質を求めるより、量が質を生むというのが正しいと思っていて。
だから感謝することも量をこなしたいと思ったんだけど、伝える相手が必要じゃないですか。普段の仕事だと、いつも知っている相手になってしまうので量がこなせないんです。
小売店だったら1日に何十回と接客するわけだから、本屋でアルバイトすることは合理的だと思ったんですよ。
それに、本屋だったら立っている時間も長そうだし、考える時間もできるんじゃないかと思いました。
家にいると、考える時間を取ろうと思っても他のいろんなものが入って来ちゃうから、強制的に考える時間を取ろうと思ったんです。もう時効かなと思って言っちゃいますけど、当時会社には内緒にして、半年間くらいは土日も働いていましたね。
荒井:考える時間ができて、実際に変化はありましたか?
江戸:やってよかったです。接客ではお客様にいろいろとお伝えするわけですけど、伝え方を工夫するにしても、相手を観察しないといけないですよね。バイト先は空港の本屋だったので、フライトの時間が迫っている場合は急いでいる人にはいろいろと言う必要はないし、逆にちょっと時間のある人は会話をしたがっていたり。
その人がどういう状況で、どういう本を買っているかとか。そこから、ちょっとした言い方や言う内容を変えるだけで反応が違ったりする。そこでの経験がかなり役立ちました。
また、自分で考える時間もあったので、「僕はこのままでいいんだろうか?」「ビジネスの世界に飛び込んで3年くらい経つけど、思い描いていた姿に近づいてないな」「結果が出ている人はどうやっているんだろう?」とか、自分の人生について考えていました。

本屋での修行を経て、相手に思いを馳せることできるようになったことが仕事の結果につながった

荒井:本屋でアルバイトをして、そこからはいい形で仕事が回りはじめたんですか?
江戸:はい、相手の状況を自然と考えられるようになりはじめていましたね。当時のガイアックスは商品として提案するものも何もなく、逆に何でも提案できるような状況だったんです。それなら、相手が必要としているものを提案するのが当然最も響くわけじゃないですか?
言い換えれば、相手の状況を観察して「何を解決したいと思っているか?」「何を提案したら響くか?」を考えられる絶好の機会がゴロゴロ転がっているという。
その考え方は、お客さんだけでなく仕事するメンバーに対しても同じでした。新しく立ち上げるサービスを手伝ってもらう義理が他にメンバーにない状況でも、協力してもらわないと次に向かえない時があって。
そうした時に、そのサービスがあることで会社だけでなく、関わるメンバーにとっても「いいポイント」を見つけ出して、どうしたら相手に協力してもらえるかを事前に考えないといけない。
それができるほど、自分起点の提案がメンバーみんなにとっていいものになるんです。
このような形で「これを進めていくとこうなるな」という感覚が自分の中で掴めていけるようになり、その頃を皮切りに結果も想像以上に出るようになった。
荒井:江戸さんはよく会議中に「だってこうなっちゃうもんね」と言っていた記憶があります。どうしてそういう予測が立つんだろう?と不思議でした。

手を上げたからにはやるしかない。見切り発車ではじめたサービスがアディッシュの前身になった

開発案件で大きな資金を稼ぎつつ、コツコツと運用系の事業づくりをしていた

荒井:どういうタイミングで成果が出はじめていたのでしょうか?
江戸:成果が出はじめたのは3〜4年目くらいですかね。当時のガイアックスはゲーム事業が全て当たらず、大赤字を出していました。事業の撤退が続いて会社が潰れかけていたので、何か新たに事業をつくらないといけないし、いろんな人が辞めていったタイミングでもあり……。会社は絶不調でしたが、だからこそ変化が求められるこのフェーズは、僕にとってチャンスだったんです。
何かしないと会社が潰れてしまうから、各々が了承ももらわずに「これやります」と手を上げているような状況だったので、何か上手く立ち上げられれば大きな機会になるなと。
そういった考えがあったので、僕も「やります」と手を挙げました。今でいうSNSのようなコミュニティサイトの開発をしていたんですけど、「開発案件を持ってきます」と言ったり。アテはなくても、見切り発車的に会議で発表していました。
実は、その時に立ち上げたサービスがアディッシュの前身になっています。
荒井:最初に立ち上げた事業が今も続いているということですか?
江戸:いえ、最初は運用系のサービスもやっていました。現在アディッシュで提供している誹謗中傷対策やカスタマーサポートのような運用系のサービスは積み上げ型なので、すぐに大きな売り上げにはならないんですよ。なので、そちらはそちらでコツコツとやりながら、開発案件を同時にやっていました。
お金がなかったので、当時はコミュニティサイトを受託開発して一定を稼ぎつつ、運用系のサービスを立ち上げて徐々に事業を大きくしていった感じですね。
事業として広がってきたなと思ったのは、そこからさらに2〜3年くらい経ってからでした。

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インタビュアー:荒井智子
ライター:黒岩麻衣

編集後記

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「自分のことは自分で決める」というブレない軸があり、必要なことを考えて実行する柔軟さもある。アディッシュの杉之原さんといい、一見突飛に見えることでも実行してみると、道が拓けていくのかも?

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