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都内7.4%が導入するスマートロックを生んだ男|起業までの道のり ー 株式会社Photosynth代表取締役社長 河瀬航大

  • 最終更新: 2022年5月23日

これまでガイアックスは多くの起業家を輩出してきており、現在では組織自体がスタートアップスタジオとして機能しています。起業家や起業家予備軍となる候補者が集まっており、また、彼らの起業をサポートするプロフェッショナルも多数在籍しています。

過去にもガイアックス出身の起業家は、Appbank株式会社やピクスタ株式会社、アディッシュ株式会社などをつくり、資金調達を経て上場を経験してきました。

今回は、これから上場するであろう企業を牽引する、そしてガイアックススタートアップスタジオができるきっかけともなったガイアックス出身の起業家をご紹介します。

ガイアックスのスタートアップスタジオでは、ビジネスアイディアの相談を随時実施しています。
優れた事業案には200万円を出資。
相談者の年齢関係なく、暖かく相談にのってくれるので、以下から気軽に問い合わせをしてみてください。
» スタートアップカフェに参加する

今回インタビューした株式会社 Photosynth(フォトシンス)代表取締役社長の河瀬航大(かわせ こうだい)さん。

河瀬さんも、ガイアックスから巣立った起業家の一人です。新卒でガイアックスに入社し、入社3年目には24歳にしてネット選挙の事業責任者として事業を牽引。そして仲間と開発したスマートロックシステム「Akerun(アケルン)」が注目を集めたことをきっかけに株式会社 Photosynthを創業しました。Akerunは都内7.4%が導入するスマートロックとなり、2021年7月現在時点でフォトシンスの累計調達額は約70億円にものぼります。
そうした経歴を持つ河瀬さんも、「1年目はとにかくもがき苦しんでいた」と語ります。
本インタビューでは、河瀬さんの学生時代や新卒時のエピソードをお聞きし、仕事で成功するための秘訣を探っていきます。

Kodai-Kawase

河瀬 航大

株式会社Photosynth・代表取締役社長

1988年、鹿児島生まれ。2011年、筑波大学理工学群卒業後、株式会社ガイアックスに入社。ソーシャルメディアの分析・マーケティングを行う。2013年にはネット選挙の事業責任者として、多数のTV出演・講演活動を行う。「facebook 知りたいことがズバッとわかる本(翔泳社)」執筆。2014年、株式会社フォトシンスを創業、代表取締役社長に就任し、スマートロックAkerunを主軸としたIoT事業を手掛ける。経産省が所管するNEDO公認SUI第1号をはじめ、これまでに累計50億円を調達するなど、IoTベンチャーの経営を担う注目の若手起業家。Forbes主催、Forbes 30 Under 30 Asia 2017にて、アジアを代表する人材として「ConsumerTechnology」部門で選出。筑波大学非常勤講師。

ソーシャルビジネスに興味を持ち、意識の高い学生時代を過ごす

ビジネスは、世の中をダイレクトに変えていける手段

ー まずは自己紹介をお願いします。

河瀬 株式会社 Photosynth(フォトシンス)の河瀬航大と申します。
僕はガイアックスに2011~2014年の3年半の期間で在籍し、スマートロック(スマートフォンやICカード等を用いて錠の開閉・管理を行う機器およびシステムの総称)のAkerun(アケルン)というプロダクトの開発をきっかけにフォトシンスを立ち上げました。

その後、起業から約6年半後ほど経った頃にIPOを経験しています。

ー 河瀬さんは、どのような学生時代を過ごしましたか?

河瀬 今でいうところの「意識高い系の学生」でした(笑)。今はインターンも盛んですし、起業している学生も増えましたよね。当時は、それよりも学生団体をやっている人が多く、僕自身も筑波大学に通いながら早稲田大学のビジネス系インターカレッジ・サークルに入って代表をしていました。もともと学生の頃からビジネスという形で社会貢献にアプローチしたいと考えていたこともあり、自然環境問題をビジネスの切り口で解決する団体に入ったんです。

ー いつからソーシャルビジネスという領域に興味を持ち始めたんですか?

河瀬 言葉を知ったのは大学4年生ごろですが、原点は生い立ちにあります。僕の生まれは鹿児島で、小学校までは種子島で育ちました。海や山で遊んで育ったので、自然を守りたいという思いが強くて。大学で化学を学んだのも、自然に関わることを学びたかったからなんです。専門領域は放射線や光合成などで、研究やボランティアの道に進むことも考えました。でも、よりダイレクトに世の中を変えていけるアプローチがビジネスだと思ったんです。

大学入学後は、「せっかく関東に出てきたので、ビジネスも勉強してみたい」という思いから、早稲田大学のインターカレッジ・サークルに入りました。大学1〜2年生の時に「ビジネスって面白い」と気づいたのですが、その気づきがなければ研究者になっていたと思います。

強みを生かし、型からハミ出す仕事をする。“邪魔されない環境”で掴んだチャンス

事業をつくれるようになる。もがきながら階段を駆け上がった3年半

「こういう人になりたい」今でも先輩たちの背中を追いかけている

ー インターカレッジ・サークルでの経験からビジネスに興味を持った後、どのような軸で就職活動に臨みましたか?

河瀬 大きな軸では、自分で事業をつくれる人になりたいという思いを持っていました。ベンチャーや大企業などのさまざまな企業を受ける中で、僕にとって最も「事業をつくること」を体現していると感じられたのがガイアックスでした。
ガイアックスは、僕が入った頃から多種多様な起業家を輩出しているエッジの効いた会社で、自分の未来を思い浮かべた時に「自分もこういう人になりたい」と明確にイメージできたんです。また、ガイアックスに入れば、ビジネスや起業のことを肌感として掴めるだろうという狙いもありました。
ガイアックスOBの方々を見て「かっこいいな」と思って入社し、今でも先輩たちの背中を追い続けています。

「1年目はもがき苦しんだ」ガイアックスで築いた仕事の基礎

ー ガイアックスに入ってからは、「ビジネスや起業のことを肌感として掴めるだろう」というイメージ通りの経験をできましたか?

河瀬 それ以上の経験ができましたね(笑)。入社してからは当時のオンラインマーケティング事業部(現アディッシュ株式会社)に配属され、ソーシャルメディアコミュニティの監視事業を担当しました。そこで自分の未熟さに気づき、1年目はとにかくもがき苦しんでいました。
当時は今ほど働き方に厳しくなかったので、0時までに帰った記憶がありませんし、1週間の内の数日は朝帰りをするような生活でした。仕事ができるようになりたくて、そんな感じの働き方を2年目くらいまで…いや、ずっとしていた気がします(笑)。学生時代からいろいろな事業に触れていたつもりでしたが、本当の意味でのビジネスの基礎についてはその時期に学びました。

ー 「仕事ができない」と感じられていたのはなぜですか?

河瀬 そもそも、基本的な報連相ができていなかったんですね。営業して案件を取ってくるのはいいのですが、ちょっとオーバーな感じで取ってくるんですよ。それをエンジニアの方に渡すと「こんなことはできない」とまず叱られ、お客様に「すみません、できないそうです」と伝えてまた叱られ……。その調整がとにかく難しかったですね。「こんなに頑張っているのに全方位から怒られる」と夜中にこっそり泣いたこともありますし、仕事をすればするほど借りをつくっている感覚があって。仕事をすることはバリューを生み出すことのはずなのに、人にお願い事をしてばかりでもどかしさも感じていました。
当時の僕は、会社は自分のやりたいことをやる場所だと勘違いしていたかもしれません。
本来は会社として売りたい商品があって、その商品の先につくりたい世界観があるはずなんですが、あの頃の僕は自分本位で動いていた部分もあったのだろうと思います。

ー もがき苦しんでいたところから、「仕事ができる」という感覚を掴めるようになったのはいつ頃でしたか?

河瀬 完全な自己評価ですが、大体3年目くらいですね。2012年頃にソーシャルリスニング事業を立ち上げて、社内での動き方や伝え方がわかってきたのが2年目の終わり頃からです。
僕が取ってくる案件は変わったものばかりでしたが、さすがに「一体これは何なんだ」ということになり、新しい事業として立ち上げることになりました。それまでは「ソーシャルメディアの監視」というと、いわゆる企業の公式なプラットフォームなどの限定された所を監視するものでした。ソーシャルリスニングはそれに加え、さまざまなソーシャル領域をモニタリングして分析をするという事業でした。
ソーシャルリスニング事業は僕しかやっていなかったので、自分で立ち上げた事業だと強く感じられましたね。立ち上げてから徐々に売り上げも立つようになり、やっと事業として認められるものをつくれた感覚を持てました。

そして「ネット選挙の人」になる。ガイアックスで経験した最も濃い仕事

ー 2年目にして河瀬さんがイメージしていた事業づくりを経験し、その後はいかがでしたか?

河瀬 3年目には周りの方に協力していただきながら、ネット選挙の事業責任者という大きな経験をしました。
インターネットでの選挙運動が解禁されたことにより、選挙期間中に候補者の方々はソーシャルメディアで情報発信ができるようになったんです。それまでソーシャルリスニングで口コミなどをキュレーション・分析してレポートする仕事をしていたので、ネット選挙ではそのノウハウを活かすことができました。選挙期間中に候補者の話がどのように有権者に伝わり、どのようにポジティブ又はネガティブな意見に振れるかを分析し、日次や週次で報告をする事業は、まさにこれまでの経験をフル活用できる仕事で。

2013年の参院選でネット選挙が解禁するとなったときに、世の中には「何か大きなビジネスチャンスがあるのではないか?」という期待値がありましが法律が変わるというタイミングで、まだネット選挙をやっている事業者はいなかったんです。ネットに詳しい会社は有象無象にあり、選挙に詳しいコンサルタントもそれなりにいます。ただ、ネット選挙という領域のスペシャリストはまだいなかった。僕はネット選挙については詳しくありませんでしたが、好奇心があったのでたまたま選挙や政治について勉強していて、仕事柄としてもネットについては詳しかった。自分の知見を政治家の方々にお話しする内に「うちの党で講演してみて」と声がかかるようになり、どんどん選挙についても詳しくなっていき、あれよあれよという間にネット選挙の人になれたんですよね。

その結果、「ネット選挙が生まれたことで何が変わるのか」「どんなビジネスが生まれる可能性があるか」をいろいろなところでお話させていただくことを通じて、事業をつくる前にマーケットをつくることができました。マーケットをつくったことでガイアックスの名前も広がり、自民党からまるっとお仕事を任せていただくような発注をいただくこともできて。ネット選挙が解禁された夏の日には各テレビ局から15分単位でインタビューされ、ガイアックスの株価が最大瞬間風速で約50倍上がるほどのインパクトがありました。個人的に、その日が入社してからガイアックスに1番貢献できたんじゃないかなと思っています。

法律が変わるタイミングで市場をつくり、その中で旗を立てて事業が生まれ、ニーズに沿ったプロダクトをつくることができてお金も稼げる。その一連のプロセスを、入社してわずか3年で体験させてもらえたことは本当に感謝しています。

暗黒の1年目を過ごしたからこそ、爆発力を発揮できた

ー 河瀬さんがスピーディーに成長の階段をかけ上がれたのはなぜですか?

河瀬 僕の動きを認めてくれたガイアックスのカルチャーが土台としてあったことが大きな理由です。普通に仕事をしているだけならば面白くないなと思っていた僕にとって、「監視」をただするだけでなく、そこにどのような付加価値をつけていくのかを考える仕事をさせてもらえたの経験は、自分が成長するドライバーになったと思います。マイナスをゼロにするだけではなく、いかにゼロからプラスにする価値を生み出すかみたいな。

あとは、ダークな1年目を過ごす中で、学生時代につながった人たちの社会人生活を目にする苦しさも成長の要因でした。彼らはキラキラ過ごしているのに、自分は怒られてばかりで「ショボいな」って当時は感じていて。そこからある種の反骨心も生まれたので、「何かを生み出したい」という気持ちもより強くなり、ダークな時代があったからこその爆発力を味方につけられました。

そもそも性格的に「負けたくない」という気持ちが強い人間なので、燃えやすい所があるかもしれません。
ガイアックスで働いている時も、周りで起業する人たちを見ては心を焚きつけられる時も多かったです。
実際に自分が起業してみると、付き合う人が増えていく中でまた「負けたくない」と思わせてくれる人が現れる。
そうやってどんどんレベルが上がっていくので、終わりなき戦いですね(笑)。

ー ガイアックスを離れて6年以上経ちますが、ガイアックスの特徴を挙げるとしたらどんなことがありますか?

河瀬 代表の上田さんのブログにも書いてあったと思いますが、ガイアックスはまさしく「邪魔しない経営」ですよね。当時の僕の動き方なんて、普通の会社だったら邪魔してナンボのものだったと思うんですよ。あれを受け入れてくれたことは本当にすごい。ガイアックスは、挑戦する人からすると最高の環境だと思います。逆に、自走できない人はガイアックスに入る意味がないと思うくらい。
覚えている中で、当時の上司だった江戸さん(現株式会社アディッシュ代表取締役)は特に育て方が上手いなと思っていて。僕は1年目は何もさせてもらえず、営業の仕事を徹底的に教え込まれていました。その中でいつも「お前は何でもいいから“YES or はい”で頑張れ」と言われていて(笑)。まずは基礎をきっちり押さえつつ、2年目でソーシャルリスニングを立ち上げさせてもらって、そこから全社的に力を入れていくネット選挙をやらせてもらいました。仕事でのメリハリのつけ方が上手な上司に恵まれて、ありがたかったですね。
世の中の多くの場合、新卒で大企業に入ったとしたら、ある意味では型にはめ込まれる場面があると思っていて。僕の場合は良くも悪くも型にはめられなかったので、そのペースのまま自分の事業を大きくできていると感じています。新卒での働き方や感覚は未だに抜けていないので、どんな環境で新卒時代を過ごすかはのちのち重要になってくるでしょうね。
ガイアックスは必要最低限のことは押さえつつ、僕自身の強みを大切にしてくれたと感じています。

河瀬航大

メリハリをつけ、事業を成長させるパワーをつけていく

ー 上田さんからの質問が来ています。−−「ガイアックスが河瀬さんのような人を輩出するには、どうしたらいいですか?」

河瀬 僕がいた頃から「インキュベーションセンターを目指している」という話がされていて、すでにゼロイチに長けた優秀な人達が集まってきていると思いますし、強みを伸ばすこともされていますよね。ただ、0→1だけでは意味がなくて、それを1→10→100→1,000にしていくことにこそ価値があると思っています。ガイアックスには複数の立派なサービスがありますので、せっかくガイアックスに入社したからには、あえて事業を100→1,000にしていくような動いてみるのはいかがでしょうか。0→1は起業してからいくらでもできるので。事業を成長させるパワーをつけさせるために、環境としてメリハリをつけていくといいかなと思います。
ベンチャーで新規事業をポコポコと生み出すとリソースが分散されてしまうので、基本的には選択と集中を繰り返す方が投資対効果がありますよね。そういう意味では、新規事業が生まれやすいガイアックスは特殊だと思います。すべての可能性に賭けて、会社というフィールドを提供して個人を最大限に伸ばす。社員からすると最高の会社ですね。

ー 現在、ガイアックスは明確に「スタートアップスタジオ」という形で打ち出しているので、そこからどう拡大させていくかということですね。ありがとうございました!

後編のブログはこちら:「“キーレス社会”を実現する|70億円調達、会社を率いた6年半

 

インタビュー:荒井智子
ライティング:黒岩麻衣

<関連ブログ>

編集後記

河瀬さんのお話を聞いていると、階段を登るスピードの速さや、一段一段の高さに驚かされます。インタビューの後半では、フォトシンスが創業してからの物語を、当時の苦労や葛藤も含めてお届けします。

このインタビュー記事の動画も是非ご覧ください


Vision Notes Episode 5 – フォトシンス 代表取締役社長 河瀬 航大
『副業で起業した男が、東京のオフィス7.4%が導入するスマートロックをつくるまで』


投資先経営者
1. 「やりたいことがなかった」私が、上場ベンチャーの女性役員になるまでのファーストキャリア – アディッシュ株式会社取締役 杉之原明子
2. 悩んで、向き合い続けたからこそ切り開けた、上場ベンチャーの女性役員というキャリア – アディッシュ株式会社取締役 杉之原明子
3. 上場を経験したからこそできる、「身近な社外の女性役員」という役割 – アディッシュ株式会社取締役 杉之原明子
4. 研究者の道を捨てた僕は、カオス真っ只中のベンチャーで自分の道を切り拓いてきた – アディッシュ株式会社代表取締役 江戸浩樹
5. 「関係の質が成果の質を生む」仕事は人生の大事な一部だから、人と向き合い、チームを大切にする – アディッシュ株式会社代表取締役 江戸浩樹
6. 27歳にして上場ITベンチャー企業の取締役になった人の「新人時代」とは? – アディッシュ株式会社取締役 松田光希
7. 27歳で取締役としてベンチャー企業の上場を経験して見えた景色 – アディッシュ株式会社取締役 松田光希
8. 情熱が成長曲線を左右する。意図を持つことで働き方は変わる – 株式会社Tokyo Otaku Mode 代表取締役社長 小高 奈皇光
9. 人間は、人間らしく働こう。 情熱を持って“自分の”ど真ん中を走り続ける – 株式会社Tokyo Otaku Mode 代表取締役社長 小高 奈皇光
10. 都内7.4%が導入するスマートロックを生んだ男|起業までの道のり ー 株式会社Photosynth代表取締役社長 河瀬航大
11. “キーレス社会”を実現する|70億円調達、会社を率いた6年半 ー 株式会社Photosynth代表取締役社長 河瀬航大
12. 会社づくりもデザインの一環、漫画家の道から起業家へ – 株式会社TRUSTDOCK 代表取締役 千葉孝浩
13. 全力の挫折経験が直感力を磨き、TRUSTDOCKという勝負への道を切り拓いた – 株式会社TRUSTDOCK 代表取締役 千葉孝浩
14. 新時代の価値を生み出す人は20代に何をしていたか ー 株式会社アドレス代表取締役社長 佐別当隆志
15. 定額住み放題サービスADDressが切り拓く、これまでの延長線上“じゃない”未来 ー 株式会社アドレス代表取締役社長 佐別当隆志
河瀬 航大
1988年、鹿児島生まれ。2011年、筑波大学理工学群卒業後、株式会社ガイアックスに入社。ソーシャルメディアの分析・マーケティングを行う。2013年にはネット選挙の事業責任者として、多数のTV出演・講演活動を行う。「facebook 知りたいことがズバッとわかる本(翔泳社)」執筆。2014年、株式会社フォトシンスを創業、代表取締役社長に就任し、スマートロックAkerunを主軸としたIoT事業を手掛ける。経産省が所管するNEDO公認SUI第1号をはじめ、これまでに累計50億円を調達するなど、IoTベンチャーの経営を担う注目の若手起業家。Forbes主催、Forbes 30 Under 30 Asia 2017にて、アジアを代表する人材として「ConsumerTechnology」部門で選出。筑波大学非常勤講師。
ガイアックス卒業生ビジネスプロデューサー職フラットカルチャー投資先経営者
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  • 最終更新: 2022年5月23日

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過去にもガイアックス出身の起業家は、Appbank株式会社やピクスタ株式会社、アディッシュ株式会社などをつくり、資金調達を経て上場を経験してきました。

今回は、これから上場するであろう企業を牽引する、そしてガイアックススタートアップスタジオができるきっかけともなったガイアックス出身の起業家をご紹介します。

ガイアックスのスタートアップスタジオでは、ビジネスアイディアの相談を随時実施しています。
優れた事業案には200万円を出資。
相談者の年齢関係なく、暖かく相談にのってくれるので、以下から気軽に問い合わせをしてみてください。
» スタートアップカフェに参加する

今回インタビューした株式会社 Photosynth(フォトシンス)代表取締役社長の河瀬航大(かわせ こうだい)さん。

河瀬さんも、ガイアックスから巣立った起業家の一人です。新卒でガイアックスに入社し、入社3年目には24歳にしてネット選挙の事業責任者として事業を牽引。そして仲間と開発したスマートロックシステム「Akerun(アケルン)」が注目を集めたことをきっかけに株式会社 Photosynthを創業しました。Akerunは都内7.4%が導入するスマートロックとなり、2021年7月現在時点でフォトシンスの累計調達額は約70億円にものぼります。
そうした経歴を持つ河瀬さんも、「1年目はとにかくもがき苦しんでいた」と語ります。
本インタビューでは、河瀬さんの学生時代や新卒時のエピソードをお聞きし、仕事で成功するための秘訣を探っていきます。

Kodai-Kawase

河瀬 航大

株式会社Photosynth・代表取締役社長

1988年、鹿児島生まれ。2011年、筑波大学理工学群卒業後、株式会社ガイアックスに入社。ソーシャルメディアの分析・マーケティングを行う。2013年にはネット選挙の事業責任者として、多数のTV出演・講演活動を行う。「facebook 知りたいことがズバッとわかる本(翔泳社)」執筆。2014年、株式会社フォトシンスを創業、代表取締役社長に就任し、スマートロックAkerunを主軸としたIoT事業を手掛ける。経産省が所管するNEDO公認SUI第1号をはじめ、これまでに累計50億円を調達するなど、IoTベンチャーの経営を担う注目の若手起業家。Forbes主催、Forbes 30 Under 30 Asia 2017にて、アジアを代表する人材として「ConsumerTechnology」部門で選出。筑波大学非常勤講師。

ソーシャルビジネスに興味を持ち、意識の高い学生時代を過ごす

ビジネスは、世の中をダイレクトに変えていける手段

ー まずは自己紹介をお願いします。

河瀬 株式会社 Photosynth(フォトシンス)の河瀬航大と申します。
僕はガイアックスに2011~2014年の3年半の期間で在籍し、スマートロック(スマートフォンやICカード等を用いて錠の開閉・管理を行う機器およびシステムの総称)のAkerun(アケルン)というプロダクトの開発をきっかけにフォトシンスを立ち上げました。

その後、起業から約6年半後ほど経った頃にIPOを経験しています。

ー 河瀬さんは、どのような学生時代を過ごしましたか?

河瀬 今でいうところの「意識高い系の学生」でした(笑)。今はインターンも盛んですし、起業している学生も増えましたよね。当時は、それよりも学生団体をやっている人が多く、僕自身も筑波大学に通いながら早稲田大学のビジネス系インターカレッジ・サークルに入って代表をしていました。もともと学生の頃からビジネスという形で社会貢献にアプローチしたいと考えていたこともあり、自然環境問題をビジネスの切り口で解決する団体に入ったんです。

ー いつからソーシャルビジネスという領域に興味を持ち始めたんですか?

河瀬 言葉を知ったのは大学4年生ごろですが、原点は生い立ちにあります。僕の生まれは鹿児島で、小学校までは種子島で育ちました。海や山で遊んで育ったので、自然を守りたいという思いが強くて。大学で化学を学んだのも、自然に関わることを学びたかったからなんです。専門領域は放射線や光合成などで、研究やボランティアの道に進むことも考えました。でも、よりダイレクトに世の中を変えていけるアプローチがビジネスだと思ったんです。

大学入学後は、「せっかく関東に出てきたので、ビジネスも勉強してみたい」という思いから、早稲田大学のインターカレッジ・サークルに入りました。大学1〜2年生の時に「ビジネスって面白い」と気づいたのですが、その気づきがなければ研究者になっていたと思います。

強みを生かし、型からハミ出す仕事をする。“邪魔されない環境”で掴んだチャンス

事業をつくれるようになる。もがきながら階段を駆け上がった3年半

「こういう人になりたい」今でも先輩たちの背中を追いかけている

ー インターカレッジ・サークルでの経験からビジネスに興味を持った後、どのような軸で就職活動に臨みましたか?

河瀬 大きな軸では、自分で事業をつくれる人になりたいという思いを持っていました。ベンチャーや大企業などのさまざまな企業を受ける中で、僕にとって最も「事業をつくること」を体現していると感じられたのがガイアックスでした。
ガイアックスは、僕が入った頃から多種多様な起業家を輩出しているエッジの効いた会社で、自分の未来を思い浮かべた時に「自分もこういう人になりたい」と明確にイメージできたんです。また、ガイアックスに入れば、ビジネスや起業のことを肌感として掴めるだろうという狙いもありました。
ガイアックスOBの方々を見て「かっこいいな」と思って入社し、今でも先輩たちの背中を追い続けています。

「1年目はもがき苦しんだ」ガイアックスで築いた仕事の基礎

ー ガイアックスに入ってからは、「ビジネスや起業のことを肌感として掴めるだろう」というイメージ通りの経験をできましたか?

河瀬 それ以上の経験ができましたね(笑)。入社してからは当時のオンラインマーケティング事業部(現アディッシュ株式会社)に配属され、ソーシャルメディアコミュニティの監視事業を担当しました。そこで自分の未熟さに気づき、1年目はとにかくもがき苦しんでいました。
当時は今ほど働き方に厳しくなかったので、0時までに帰った記憶がありませんし、1週間の内の数日は朝帰りをするような生活でした。仕事ができるようになりたくて、そんな感じの働き方を2年目くらいまで…いや、ずっとしていた気がします(笑)。学生時代からいろいろな事業に触れていたつもりでしたが、本当の意味でのビジネスの基礎についてはその時期に学びました。

ー 「仕事ができない」と感じられていたのはなぜですか?

河瀬 そもそも、基本的な報連相ができていなかったんですね。営業して案件を取ってくるのはいいのですが、ちょっとオーバーな感じで取ってくるんですよ。それをエンジニアの方に渡すと「こんなことはできない」とまず叱られ、お客様に「すみません、できないそうです」と伝えてまた叱られ……。その調整がとにかく難しかったですね。「こんなに頑張っているのに全方位から怒られる」と夜中にこっそり泣いたこともありますし、仕事をすればするほど借りをつくっている感覚があって。仕事をすることはバリューを生み出すことのはずなのに、人にお願い事をしてばかりでもどかしさも感じていました。
当時の僕は、会社は自分のやりたいことをやる場所だと勘違いしていたかもしれません。
本来は会社として売りたい商品があって、その商品の先につくりたい世界観があるはずなんですが、あの頃の僕は自分本位で動いていた部分もあったのだろうと思います。

ー もがき苦しんでいたところから、「仕事ができる」という感覚を掴めるようになったのはいつ頃でしたか?

河瀬 完全な自己評価ですが、大体3年目くらいですね。2012年頃にソーシャルリスニング事業を立ち上げて、社内での動き方や伝え方がわかってきたのが2年目の終わり頃からです。
僕が取ってくる案件は変わったものばかりでしたが、さすがに「一体これは何なんだ」ということになり、新しい事業として立ち上げることになりました。それまでは「ソーシャルメディアの監視」というと、いわゆる企業の公式なプラットフォームなどの限定された所を監視するものでした。ソーシャルリスニングはそれに加え、さまざまなソーシャル領域をモニタリングして分析をするという事業でした。
ソーシャルリスニング事業は僕しかやっていなかったので、自分で立ち上げた事業だと強く感じられましたね。立ち上げてから徐々に売り上げも立つようになり、やっと事業として認められるものをつくれた感覚を持てました。

そして「ネット選挙の人」になる。ガイアックスで経験した最も濃い仕事

ー 2年目にして河瀬さんがイメージしていた事業づくりを経験し、その後はいかがでしたか?

河瀬 3年目には周りの方に協力していただきながら、ネット選挙の事業責任者という大きな経験をしました。
インターネットでの選挙運動が解禁されたことにより、選挙期間中に候補者の方々はソーシャルメディアで情報発信ができるようになったんです。それまでソーシャルリスニングで口コミなどをキュレーション・分析してレポートする仕事をしていたので、ネット選挙ではそのノウハウを活かすことができました。選挙期間中に候補者の話がどのように有権者に伝わり、どのようにポジティブ又はネガティブな意見に振れるかを分析し、日次や週次で報告をする事業は、まさにこれまでの経験をフル活用できる仕事で。

2013年の参院選でネット選挙が解禁するとなったときに、世の中には「何か大きなビジネスチャンスがあるのではないか?」という期待値がありましが法律が変わるというタイミングで、まだネット選挙をやっている事業者はいなかったんです。ネットに詳しい会社は有象無象にあり、選挙に詳しいコンサルタントもそれなりにいます。ただ、ネット選挙という領域のスペシャリストはまだいなかった。僕はネット選挙については詳しくありませんでしたが、好奇心があったのでたまたま選挙や政治について勉強していて、仕事柄としてもネットについては詳しかった。自分の知見を政治家の方々にお話しする内に「うちの党で講演してみて」と声がかかるようになり、どんどん選挙についても詳しくなっていき、あれよあれよという間にネット選挙の人になれたんですよね。

その結果、「ネット選挙が生まれたことで何が変わるのか」「どんなビジネスが生まれる可能性があるか」をいろいろなところでお話させていただくことを通じて、事業をつくる前にマーケットをつくることができました。マーケットをつくったことでガイアックスの名前も広がり、自民党からまるっとお仕事を任せていただくような発注をいただくこともできて。ネット選挙が解禁された夏の日には各テレビ局から15分単位でインタビューされ、ガイアックスの株価が最大瞬間風速で約50倍上がるほどのインパクトがありました。個人的に、その日が入社してからガイアックスに1番貢献できたんじゃないかなと思っています。

法律が変わるタイミングで市場をつくり、その中で旗を立てて事業が生まれ、ニーズに沿ったプロダクトをつくることができてお金も稼げる。その一連のプロセスを、入社してわずか3年で体験させてもらえたことは本当に感謝しています。

暗黒の1年目を過ごしたからこそ、爆発力を発揮できた

ー 河瀬さんがスピーディーに成長の階段をかけ上がれたのはなぜですか?

河瀬 僕の動きを認めてくれたガイアックスのカルチャーが土台としてあったことが大きな理由です。普通に仕事をしているだけならば面白くないなと思っていた僕にとって、「監視」をただするだけでなく、そこにどのような付加価値をつけていくのかを考える仕事をさせてもらえたの経験は、自分が成長するドライバーになったと思います。マイナスをゼロにするだけではなく、いかにゼロからプラスにする価値を生み出すかみたいな。

あとは、ダークな1年目を過ごす中で、学生時代につながった人たちの社会人生活を目にする苦しさも成長の要因でした。彼らはキラキラ過ごしているのに、自分は怒られてばかりで「ショボいな」って当時は感じていて。そこからある種の反骨心も生まれたので、「何かを生み出したい」という気持ちもより強くなり、ダークな時代があったからこその爆発力を味方につけられました。

そもそも性格的に「負けたくない」という気持ちが強い人間なので、燃えやすい所があるかもしれません。
ガイアックスで働いている時も、周りで起業する人たちを見ては心を焚きつけられる時も多かったです。
実際に自分が起業してみると、付き合う人が増えていく中でまた「負けたくない」と思わせてくれる人が現れる。
そうやってどんどんレベルが上がっていくので、終わりなき戦いですね(笑)。

ー ガイアックスを離れて6年以上経ちますが、ガイアックスの特徴を挙げるとしたらどんなことがありますか?

河瀬 代表の上田さんのブログにも書いてあったと思いますが、ガイアックスはまさしく「邪魔しない経営」ですよね。当時の僕の動き方なんて、普通の会社だったら邪魔してナンボのものだったと思うんですよ。あれを受け入れてくれたことは本当にすごい。ガイアックスは、挑戦する人からすると最高の環境だと思います。逆に、自走できない人はガイアックスに入る意味がないと思うくらい。
覚えている中で、当時の上司だった江戸さん(現株式会社アディッシュ代表取締役)は特に育て方が上手いなと思っていて。僕は1年目は何もさせてもらえず、営業の仕事を徹底的に教え込まれていました。その中でいつも「お前は何でもいいから“YES or はい”で頑張れ」と言われていて(笑)。まずは基礎をきっちり押さえつつ、2年目でソーシャルリスニングを立ち上げさせてもらって、そこから全社的に力を入れていくネット選挙をやらせてもらいました。仕事でのメリハリのつけ方が上手な上司に恵まれて、ありがたかったですね。
世の中の多くの場合、新卒で大企業に入ったとしたら、ある意味では型にはめ込まれる場面があると思っていて。僕の場合は良くも悪くも型にはめられなかったので、そのペースのまま自分の事業を大きくできていると感じています。新卒での働き方や感覚は未だに抜けていないので、どんな環境で新卒時代を過ごすかはのちのち重要になってくるでしょうね。
ガイアックスは必要最低限のことは押さえつつ、僕自身の強みを大切にしてくれたと感じています。

河瀬航大

メリハリをつけ、事業を成長させるパワーをつけていく

ー 上田さんからの質問が来ています。−−「ガイアックスが河瀬さんのような人を輩出するには、どうしたらいいですか?」

河瀬 僕がいた頃から「インキュベーションセンターを目指している」という話がされていて、すでにゼロイチに長けた優秀な人達が集まってきていると思いますし、強みを伸ばすこともされていますよね。ただ、0→1だけでは意味がなくて、それを1→10→100→1,000にしていくことにこそ価値があると思っています。ガイアックスには複数の立派なサービスがありますので、せっかくガイアックスに入社したからには、あえて事業を100→1,000にしていくような動いてみるのはいかがでしょうか。0→1は起業してからいくらでもできるので。事業を成長させるパワーをつけさせるために、環境としてメリハリをつけていくといいかなと思います。
ベンチャーで新規事業をポコポコと生み出すとリソースが分散されてしまうので、基本的には選択と集中を繰り返す方が投資対効果がありますよね。そういう意味では、新規事業が生まれやすいガイアックスは特殊だと思います。すべての可能性に賭けて、会社というフィールドを提供して個人を最大限に伸ばす。社員からすると最高の会社ですね。

ー 現在、ガイアックスは明確に「スタートアップスタジオ」という形で打ち出しているので、そこからどう拡大させていくかということですね。ありがとうございました!

後編のブログはこちら:「“キーレス社会”を実現する|70億円調達、会社を率いた6年半

 

インタビュー:荒井智子
ライティング:黒岩麻衣

<関連ブログ>

編集後記

河瀬さんのお話を聞いていると、階段を登るスピードの速さや、一段一段の高さに驚かされます。インタビューの後半では、フォトシンスが創業してからの物語を、当時の苦労や葛藤も含めてお届けします。

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Vision Notes Episode 5 – フォトシンス 代表取締役社長 河瀬 航大
『副業で起業した男が、東京のオフィス7.4%が導入するスマートロックをつくるまで』


投資先経営者
1. 「やりたいことがなかった」私が、上場ベンチャーの女性役員になるまでのファーストキャリア – アディッシュ株式会社取締役 杉之原明子
2. 悩んで、向き合い続けたからこそ切り開けた、上場ベンチャーの女性役員というキャリア – アディッシュ株式会社取締役 杉之原明子
3. 上場を経験したからこそできる、「身近な社外の女性役員」という役割 – アディッシュ株式会社取締役 杉之原明子
4. 研究者の道を捨てた僕は、カオス真っ只中のベンチャーで自分の道を切り拓いてきた – アディッシュ株式会社代表取締役 江戸浩樹
5. 「関係の質が成果の質を生む」仕事は人生の大事な一部だから、人と向き合い、チームを大切にする – アディッシュ株式会社代表取締役 江戸浩樹
6. 27歳にして上場ITベンチャー企業の取締役になった人の「新人時代」とは? – アディッシュ株式会社取締役 松田光希
7. 27歳で取締役としてベンチャー企業の上場を経験して見えた景色 – アディッシュ株式会社取締役 松田光希
8. 情熱が成長曲線を左右する。意図を持つことで働き方は変わる – 株式会社Tokyo Otaku Mode 代表取締役社長 小高 奈皇光
9. 人間は、人間らしく働こう。 情熱を持って“自分の”ど真ん中を走り続ける – 株式会社Tokyo Otaku Mode 代表取締役社長 小高 奈皇光
10. 都内7.4%が導入するスマートロックを生んだ男|起業までの道のり ー 株式会社Photosynth代表取締役社長 河瀬航大
11. “キーレス社会”を実現する|70億円調達、会社を率いた6年半 ー 株式会社Photosynth代表取締役社長 河瀬航大
12. 会社づくりもデザインの一環、漫画家の道から起業家へ – 株式会社TRUSTDOCK 代表取締役 千葉孝浩
13. 全力の挫折経験が直感力を磨き、TRUSTDOCKという勝負への道を切り拓いた – 株式会社TRUSTDOCK 代表取締役 千葉孝浩
14. 新時代の価値を生み出す人は20代に何をしていたか ー 株式会社アドレス代表取締役社長 佐別当隆志
15. 定額住み放題サービスADDressが切り拓く、これまでの延長線上“じゃない”未来 ー 株式会社アドレス代表取締役社長 佐別当隆志
河瀬 航大
1988年、鹿児島生まれ。2011年、筑波大学理工学群卒業後、株式会社ガイアックスに入社。ソーシャルメディアの分析・マーケティングを行う。2013年にはネット選挙の事業責任者として、多数のTV出演・講演活動を行う。「facebook 知りたいことがズバッとわかる本(翔泳社)」執筆。2014年、株式会社フォトシンスを創業、代表取締役社長に就任し、スマートロックAkerunを主軸としたIoT事業を手掛ける。経産省が所管するNEDO公認SUI第1号をはじめ、これまでに累計50億円を調達するなど、IoTベンチャーの経営を担う注目の若手起業家。Forbes主催、Forbes 30 Under 30 Asia 2017にて、アジアを代表する人材として「ConsumerTechnology」部門で選出。筑波大学非常勤講師。
ガイアックス卒業生ビジネスプロデューサー職フラットカルチャー投資先経営者
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