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定額住み放題サービスADDressが切り拓く、これまでの延長線上“じゃない”未来 ー 株式会社アドレス代表取締役社長 佐別当隆志

  • 最終更新: 2021年11月18日

これまでガイアックスは多くの起業家を輩出してきており、現在ではその組織自体がスタートアップスタジオとして機能しています。起業を企てる起業家やその候補者が入社や投資を受けるために集まっており、また、それらの起業をサポートできるプロフェッショナルも多数、在籍しています。

その中には、Appbank株式会社やピクスタ株式会社、アディッシュ株式会社などをつくり、資金調達を経て上場を経験するガイアックス出身の起業家も。

今回は、多拠点プラットフォームADDressをつくったガイアックス出身の起業家をご紹介します。

ガイアックスのスタートアップスタジオでは、ビジネスアイディアの相談を随時実施しています。
優れた事業案には200万円を出資。
相談者の年齢関係なく、暖かく相談にのってくれるので、以下から気軽に問い合わせをしてみてください。
» スタートアップカフェに参加する

今回インタビューしたのは株式会社アドレス代表取締役社長の佐別当隆志(さべっとう たかし)さん。

佐別当さんは2000年にガイアックスに入社し、広報や新規事業開発を経てシェアリングエコノミー協会の立ち上げや、“日本で一番シェアを体験できるビル”Nagatacho GRiDの立ち上げ、多拠点生活プラットフォームであるADDressの立ち上げを行ってきました。ガイアックスの中でも一際ダイナミックなチャレンジを繰り返している佐別当さんは、どんな想いを持って行動されてきたのでしょうか。
前編では、佐別当さんの学生時代のお話から、ガイアックスとの出会いについてお届けしました。後編では、ガイアックスの中で数々の挑戦をされてきた佐別当さんがいよいよご自身のビジョンを描き始めたお話や、ADDressに込められた想いをお届けします!

前編のブログはこちら:「ADDress佐別当隆志代表に聞いてみた|新時代の価値を生み出す人は20代に何をしていたか

佐別当 隆志

佐別当 隆志

株式会社アドレス代表取締役・シェアリングエコノミー協会理事

2000年2月入社。広報・事業開発を経て、2015年シェアリングエコノミーに特化したWebメディア「Share! Share! Share!」を公開。2016年1月一般社団法人シェアリングエコノミー協会を設立し、事務局長に就任。ガイアックスではブランド推進室に所属。 副業でシェア時代の家族とゲストの一軒家、「Miraie」を運営。New York Timesなど国内外のメディアが注目。

経験から得た全てのピースがはまり、歯車が回り始める

ー インターン時代からダイナミックに挑戦し続けてきた佐別当さんが、ご自身でビジョン描いて動き始めたきっかけを教えてください。

佐別当 ガイアックスの仕事はどれもチャレンジングで、すごいスピードでトライもエラーも経験させてもらい、事業開発という領域では20代の時点でいろんなスキルもついてきたという実感はありました。

ただ、オンラインゲーム事業に携わっている時に、ふと「自分は何のためにこの仕事をやっているんだろう?」という気持ちが湧き上がってきたんですよね。特にオンラインゲームは人とのリアルな交流の時間を削いでオンラインの時間を増やしていくモデルでしたし、僕がもともとゲームがそんなに好きじゃないということもあって。学生時代から持ち続けていた「たくさんの人に夢や希望を与えて社会に影響を与えるような仕事がしたい」という想いを、このままこの場所に居続けて実現できるのだろうかと考え始めていました。

以前から「社会起業家」というキーワードが心の中にはずっとあって、30代前半の時にたまたま友達に声かけてもらい、約半年間の社会起業家のプログラムに参加することにしました。僕は「インターネットの力を使って社会をよりよくしたい」という領域だけは見出していたのですが、プログラムに参加する中でいろんな人と出会って刺激をいただき、会社の中でやりたいことができないのなら自分も何か社外でやってみようと思うようになりました。

その頃、期待されていたネット選挙運動の解禁が鳩山政権において実現されないことになり、せっかくのインターネットと選挙が繋がるタイミングを逃したくないと思って、Twitterで模擬選挙のキャンペーンを主催したり、その後ネット選挙運動解禁を目指す「One Voice Campaign」というものをやったんです。その時に有志が50人くらい集まってくれて、ガイアックスの人にも手伝ってもらいつつ、ラジオや新聞に出たりして。この時が僕がインターネットと政治という領域でチャレンジした最初の経験になりました。

ー ご自身のやりたいこととガイアックスの仕事をどのようにリンクさせていったのでしょうか?

佐別当 僕が責任者として携わっていたオンラインゲーム事業は結果的に約2億円の赤字を出していまい、また大きな失敗をしてしまったし、もうガイアックスを辞めようと思っていたんですよね。当時は執行役員をしていたんですけど、役員も外れて、部長として次はどうするかを考えるタイミングでした。

その頃から自分でシェアハウスの運営やAirbnbをやっていて、シェアリング関係のことを色々やっていきたいなという想いがあり、社外での活動として自分でシェアリングサービスの提供者や利用者になったりしていました。ココナラクラウドワークスAsMamaの社長達とは繋がりがあったので、イベントを手伝ったりしながらブログで発信したり。その時にガイアックスがシェアリングエコノミー事業に力を入れていくという意思決定をして、上田さんから手伝ってほしいと声をかけていただきました。そこからシェアリングエコノミーについて発信するメディア「Share!Share!Share!(現Sharing Neighbors)」を作ったり、シェアリングエコノミー協会を立ち上げて事務局長としてガイアックスから出向したり。シェアリングエコノミー業界におけるガイアックスの認知度を高めて、ネットワークや人材が集まるようにどんどん発信していきました。

ー 自分がやっている領域のことをガイアックスの仕事としてもやらせてもらうようになって、いかがでしたか?

佐別当 水を得た魚のような感じでした(笑)。ITも使えるし、政治とも絡められるし、自分の好きなシェアリングという領域ですし。自分の得意領域3つが重なり合った中心地で、またトップランナーになれるという感覚もありましたし、クリエイターの仲間達と一緒に世の中に影響力を与えられるような団体を作れるんじゃないかと思って、仲間集めもイベントもトップスピードでやっていました。「One Voice Campaign」の時に世論がネットを通じてメディアを動かし、最後はトップ(総理)が動けば法律が変わるという体験をしていたので、シェアリングエコノミー協会を立ち上げた時も政府が動けば政策だって作れるという筋道も見えていました。

実はそれまでにも、自分で事業を立ち上げようとしたことがあったんです。自分が30代半ばくらいの頃に、同年代の人達がどんどん社会起業家として活躍し始めていたのを横目に見ながら、自分はなかな上手くいかなくて、おかしいなって。そういう想いをメンター的な存在であるNPO法人ETIC.(エティック)の宮城治男さんに相談したところ、「佐別当くんのタイミングは今じゃないよ。タイミングは向こうからやってくる。自分から探すものではないよ。もしそのタイミングが来た時には、自分の体が勝手に動くから。」と言っていただいて。そこからは焦らずに、できる範囲でやりたいことをやろうという風に気持ちが変わりました。

そして、シェアリングエコノミー協会を立ち上げる際に宮城さんにご挨拶をした時に「どうですか?」とお聞きしたら、「今きたね」と…。
2016年1月にシェアリングエコノミー協会が設立されて、この5年間は自分のこれまでの全てのピースがはまった状態になり、歯車が回り始めた感じがしています。

 

佐別当 隆志

 

待っている人達がいる。失敗の恐怖を乗り越えてADDressは誕生した

ー その頃にNagatacho GRiDの立ち上げもされていますよね?

佐別当 2015年頃にポートランドに行って現地のシェアリングエコノミー企業のオフィスのあり方を見ていて、それがすごく良かったんですよね。オフィスを解放してイベントスペースにしたり、パーティをしたり、オフィスの環境がかなりクリエイティブな状態になっていて。

一方で当時のガイアックスの五反田のオフィスがあまりにもクリエイティブな環境からはかけ離れていたので、変えた方がいいのになという想いもありつつ、永田町の物件が出てきた時に、もし永田町にオフィスができれば、シェアリングエコノミー協会としてはかなりいい展開だと気がついて(笑)。そこからやる気に火がつき、2016年の2〜3月にオフィス移転の話があがって5月頃に経営会議を通り、決定してから1年も経たない2017年2月にNagatacho GRiDはオープンしました。地下1階から6階という規模のビルを短期間で低コストで仕上げるのは大変なことでしたが、「これができたらすごいことになるぞ」という完成した時のゴールイメージだけは持っていました。不動産・建築・リノベーションという文脈では、シェアリングエコノミーの概念をふんだんに取り入れた最先端のトライだったので、業界の第一人者達もこぞって「これは本当にすごいぞ」と言ってくれて。いろんな人達がこのビルに集まってくれて、不動産・建築という領域で人が集まる交差点を作ることができたという、自分の中での成功体験にもなりました。

永田町にオフィスができたことで政治との密接な関係がさらに広がっていき、地方自治体との関係性も深まり、地域の課題をシェアリングエコノミーで解決してほしいというお話をたくさんいただくようになりました。地方では空き家が増えていて、都会には僕のように二拠点生活をしたいと思っている人がいる。そこのギャップがあるなら、うまく埋められる何かができるんじゃないかと思い始めるようになりました。

ー そこがADDressの原点になっているんですね。

佐別当 その頃、シェアリングエコノミー協会をやりながら、個人事業の延長線上でmazelという会社を作ったんです。mazelでは熱海市と連携して事業を立ち上げたり、渋谷区でシェア保育園を作るプロジェクトに携わっていたのですが、どちらも失敗してしまって…。自分でリスクを背負って事業をするのは向いていないんじゃないか、と思うくらい大きなショックを受けて、その後はシェアリングエコノミーのコンサル的な立場で仕事をしていました。

その中で地方の移住・定住者を増やしたいという相談を受けていたのですが、移住・定住ではなく、二拠点生活などをする関係人口を増やす活動を提案して、2〜3ヶ月に一度ゲストを呼んで勉強会や交流会のイベントをするようになりました。

イベントだけではなくて新規事業開発についてもアドバイスをしていて、その時に提案したのが、今のADDressに通じる多拠点生活プラットフォームというアイディアです。交流会でもそのアイディアはとても好評だったのですが、その矢先にコンサル先の企業の上場が決まり、新規事業は一切凍結ということになってしまいました。その頃にはイベントも9ヶ月くらい続けていて、今さら「やりません」とも言えなくて…。せっかく生まれたアイディアを僕が形にしようかとも考えましたが、mazelでの事業の失敗から、自分で事業を始めることに腰が引けてしまっていたんですよね。でも、そんな自分のことがだんだん嫌になってきました。

毎回イベントでの反響が大きくて、地方自治体の方も「うちの空き家を使ってください」「いつから始まるんですか?」と期待してくれる人達がたくさんいました。それなのに自分は、今までトライしてきた事業が失敗したくらいで腰が引けている。これまでシェアリングエコノミー協会をやってきて、課題も見つけて、事業モデルもあって、あとはやるだけじゃないかって。そんなことを散歩しながら考えて、結果的に「やらないなら僕がやっていいですか?」と伝えました。それが2018年の10月前半のことです。

10月中旬から会社設立の準備を始め、11月30日に設立、12月に2500万の資金調達をして、12月20日にLPを発信して「4月1日までに物件を5件と利用者を30人集めます」と発表しました。その時点では物件はゼロでしたが、LPを発信してから3日間で1400人から応募が殺到したんですよ。これは片手間に実証実験をやっている場合じゃない、本気で事業に集中し、もっと資金調達もして、社会変革を起こすくらいのものにしようと関係者で話し合いました。周りの人たちから「佐別当さん、覚悟決めてくださいよ」と突かれる感じでしたね(笑)。そこからの2年間はトップスピードで走り続けてきています。

佐別当 隆志

 

自分の旗を揚げる経験をどれだけ積めるか。トライを重ねて作りたい未来を切り拓く

ー 2年間走り続けてきて、今後はどのようなビジョンを描いていますか?

佐別当 資本主義がこのまま続くわけがないと思っていて、お金を稼ぐだけの企業はもうダサいと思っているんです。利益を出して事業としても成功させつつ、どれだけ社会的なインパクトを残して、幸せな人達を生み出せるか。そこの両立をしていきたいので、僕達は資金調達をする際に株主にもかなりインパクトの部分の話をさせていただいています。

例えば、社会変革推進財団が行なっているインパクト投資(経済的リターンと並行して、社会的・環境的インパクトを同時に生み出すことを意図する投資)をしていただいたり、僕の母校でもある立命館が行う「立命館ソーシャルインパクトファンド」から出資をしてもらったりして、社会的な取り組みを応援しようとする座組みを大きくしていきたくて。
住まいが豊かになると、その人の暮らしや人生や他者との関係性がどんどん豊かになっていくのが目に見えて実感できているので、ADDressのサービスを当たり前のものにしていきたいですね。まずは会員100万人を目指します。

僕は、今まで持ち続けてきた「社会を良くする影響力のある仕事をしたい」という想いをADDressで実現させると決めているんです。リアルな空間や地域の人との交流に加え、建築や不動産やリノベーションなど、自分のやりたかったことを全部詰め込もうと思って始めています。とはいえ、最初の1年くらいは勢いで走ってきたもののキャッシュも尽きかけていて、2年目でいきなり倒産の危機を何回も経験し、精神的にも病みかけていました。
それを乗り越えられたのは、会員さんや地域の人達や家守さん達(ADDressの家での生活をサポートするコミュニティマネージャー)の存在があったからなんです。会社を辞めてライフスタイルを変えてまで来てくれた人達がいて、「生き方が変わった」「今が人生で一番幸せです」と言ってくれる人たちが大勢いる。ADDressのサービスを広げていくことで本当に人を幸せにすることができるのだと実感したので、このサービスを世の中に定着させなければという使命感は強いですね。

ー 最後にメッセージをお願いします!

佐別当 僕の場合は、これまでに色々とトライしてきた結果として今ここにいるのだと思っています。なので、うじうじ考えたり勉強だけしているのではなく、まずは自分で行動・トライすることが大事かなと思います。失敗するかもしれないけど、「自分の旗を揚げる」という経験は多いほどいいのは間違いないです。だから、トライさせてもらえる環境や、トライしている人達が集まっている環境の中に身を置いて、トライすることを自分にとっての「当たり前」にするといいのではないでしょうか。ミラーニューロン(*1)は本当にあると思っていて、どういう人たちに囲まれているかは、自分自身を形作るのに大きく影響すると思うんですよね。「こういう自分になりたい」と描く姿があるなら、そういう人達のいるところに飛び込んでみるのがいいと思います。

あとは、良くも悪くもコロナ以前と以後では社会が大きく変わりますし、2年後くらいからは好景気が来ると思っているんです。そしてアフターコロナに関しては、これまでの延長線上にある未来とは異なる未来を切り拓けるポテンシャルが絶対にあると思っていて。
好景気の時には浮き足立って思考しなくなってしまうと思うので、「延長線上じゃない未来」を生きたい・作りたいと思っている人たちは、この1〜2年でその後に何をするのかを考え抜いて、景気が良くなってきたタイミングでトライするくらいの気概で準備しておくのがいいんじゃないかなと思います。

ー ありがとうございました!

(*1)霊長類などの高等動物の脳内で、自ら行動する時と、他の個体が行動するのを見ている状態の、両方で活動電位を発生させる神経細胞のこと。 他の個体の行動を見て、まるで自身が同じ行動をとっているかのように”鏡”のような反応をすることから名付けられた。

インタビュー:荒井智子
ライティング:黒岩麻衣

編集後記

何度もダイナミックな挑戦をされている佐別当さん。きっと恐怖心なんてないのではないか?と思っていたのですが、そんなことはありませんでした。佐別当さんがご自身の恐怖を乗り越えて踏み出したからこそ、たくさんの人を幸せにするADDressが生まれている。背中で語るとは、こういうことでしょうか。

このインタビュー記事の動画も是非ご覧ください

Vision Notes Episode 7 – ADDress代表取締役社長 佐別当隆志
『多拠点生活プラットフォームADDressをつくった社長の物語』

ガイアックスでは「これから起業したい方」と「ガイアックスで働きたい方」を募集しています

ガイアックスでは「これから起業したい方」と「ガイアックスで働きたい方」を募集しています

起業家を連続的に輩出するガイアックスでは「これから起業をしたい若手メンバー」と「新規事業をサポートしたいメンバー」、「ガイアックスで働きたい方」を募集しています。 起業のプロへ事業アイデアを無料相談できるイベントや、現役メンバーを交えてガイアックスの理解を深めるオンライン座談会を実施中。 まだ見ぬ若い才能・情熱・志へ投資するガイアックスでの挑戦を考えている方は、ぜひ詳細をご覧ください。

投資先経営者
1. 「やりたいことがなかった」私が、上場ベンチャーの女性役員になるまでのファーストキャリア – アディッシュ株式会社取締役 杉之原明子
2. 悩んで、向き合い続けたからこそ切り開けた、上場ベンチャーの女性役員というキャリア – アディッシュ株式会社取締役 杉之原明子
3. 上場を経験したからこそできる、「身近な社外の女性役員」という役割 – アディッシュ株式会社取締役 杉之原明子
4. 研究者の道を捨てた僕は、カオス真っ只中のベンチャーで、自分の道を切り拓いてきた – アディッシュ株式会社代表取締役 江戸浩樹
5. 「関係の質が成果の質を生む」仕事は人生の大事な一部だから、人と向き合い、チームを大切にする – アディッシュ株式会社代表取締役 江戸浩樹
6. 27歳にして上場ITベンチャー企業の取締役になった人の、新人時代の話 – アディッシュ株式会社取締役 松田光希
7. 27歳で取締役としてベンチャー企業の上場を経験して見えた景色 – アディッシュ株式会社取締役 松田光希
8. 情熱が成長曲線を左右する。意図を持つことで働き方は変わる – 株式会社Tokyo Otaku Mode 代表取締役社長 小高 奈皇光
9. 人間は、人間らしく働こう。 情熱を持って“自分の”ど真ん中を走り続ける – 株式会社Tokyo Otaku Mode 代表取締役社長 小高 奈皇光
10. 都内7.4%が導入するスマートロックを生んだ男|起業までの道のり ー 株式会社Photosynth代表取締役社長 河瀬航大
11. “キーレス社会”を実現する|70億円調達、会社を率いた6年半 ー 株式会社Photosynth代表取締役社長 河瀬航大
12. 会社づくりもデザインの一環、漫画家の道から起業家へ – 株式会社TRUSTDOCK 代表取締役 千葉孝浩
13. 全力の挫折経験が直感力を磨き、TRUSTDOCKという勝負への道を切り拓いた – 株式会社TRUSTDOCK 代表取締役 千葉孝浩
14. 新時代の価値を生み出す人は20代に何をしていたか ー 株式会社アドレス代表取締役社長 佐別当隆志
15. 定額住み放題サービスADDressが切り拓く、これまでの延長線上“じゃない”未来 ー 株式会社アドレス代表取締役社長 佐別当隆志
佐別当 隆志
2000年2月入社。広報・事業開発を経て、2015年シェアリングエコノミーに特化したWebメディア「Share! Share! Share!」を公開。2016年1月一般社団法人シェアリングエコノミー協会を設立し、事務局長に就任。ガイアックスではブランド推進室に所属。 副業でシェア時代の家族とゲストの一軒家、「Miraie」を運営。New York Timesなど国内外のメディアが注目。
ADDressガイアックス卒業生投資先経営者起業家
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  • 最終更新: 2021年11月18日

これまでガイアックスは多くの起業家を輩出してきており、現在ではその組織自体がスタートアップスタジオとして機能しています。起業を企てる起業家やその候補者が入社や投資を受けるために集まっており、また、それらの起業をサポートできるプロフェッショナルも多数、在籍しています。

その中には、Appbank株式会社やピクスタ株式会社、アディッシュ株式会社などをつくり、資金調達を経て上場を経験するガイアックス出身の起業家も。

今回は、多拠点プラットフォームADDressをつくったガイアックス出身の起業家をご紹介します。

ガイアックスのスタートアップスタジオでは、ビジネスアイディアの相談を随時実施しています。
優れた事業案には200万円を出資。
相談者の年齢関係なく、暖かく相談にのってくれるので、以下から気軽に問い合わせをしてみてください。
» スタートアップカフェに参加する

今回インタビューしたのは株式会社アドレス代表取締役社長の佐別当隆志(さべっとう たかし)さん。

佐別当さんは2000年にガイアックスに入社し、広報や新規事業開発を経てシェアリングエコノミー協会の立ち上げや、“日本で一番シェアを体験できるビル”Nagatacho GRiDの立ち上げ、多拠点生活プラットフォームであるADDressの立ち上げを行ってきました。ガイアックスの中でも一際ダイナミックなチャレンジを繰り返している佐別当さんは、どんな想いを持って行動されてきたのでしょうか。
前編では、佐別当さんの学生時代のお話から、ガイアックスとの出会いについてお届けしました。後編では、ガイアックスの中で数々の挑戦をされてきた佐別当さんがいよいよご自身のビジョンを描き始めたお話や、ADDressに込められた想いをお届けします!

前編のブログはこちら:「ADDress佐別当隆志代表に聞いてみた|新時代の価値を生み出す人は20代に何をしていたか

佐別当 隆志

佐別当 隆志

株式会社アドレス代表取締役・シェアリングエコノミー協会理事

2000年2月入社。広報・事業開発を経て、2015年シェアリングエコノミーに特化したWebメディア「Share! Share! Share!」を公開。2016年1月一般社団法人シェアリングエコノミー協会を設立し、事務局長に就任。ガイアックスではブランド推進室に所属。 副業でシェア時代の家族とゲストの一軒家、「Miraie」を運営。New York Timesなど国内外のメディアが注目。

経験から得た全てのピースがはまり、歯車が回り始める

ー インターン時代からダイナミックに挑戦し続けてきた佐別当さんが、ご自身でビジョン描いて動き始めたきっかけを教えてください。

佐別当 ガイアックスの仕事はどれもチャレンジングで、すごいスピードでトライもエラーも経験させてもらい、事業開発という領域では20代の時点でいろんなスキルもついてきたという実感はありました。

ただ、オンラインゲーム事業に携わっている時に、ふと「自分は何のためにこの仕事をやっているんだろう?」という気持ちが湧き上がってきたんですよね。特にオンラインゲームは人とのリアルな交流の時間を削いでオンラインの時間を増やしていくモデルでしたし、僕がもともとゲームがそんなに好きじゃないということもあって。学生時代から持ち続けていた「たくさんの人に夢や希望を与えて社会に影響を与えるような仕事がしたい」という想いを、このままこの場所に居続けて実現できるのだろうかと考え始めていました。

以前から「社会起業家」というキーワードが心の中にはずっとあって、30代前半の時にたまたま友達に声かけてもらい、約半年間の社会起業家のプログラムに参加することにしました。僕は「インターネットの力を使って社会をよりよくしたい」という領域だけは見出していたのですが、プログラムに参加する中でいろんな人と出会って刺激をいただき、会社の中でやりたいことができないのなら自分も何か社外でやってみようと思うようになりました。

その頃、期待されていたネット選挙運動の解禁が鳩山政権において実現されないことになり、せっかくのインターネットと選挙が繋がるタイミングを逃したくないと思って、Twitterで模擬選挙のキャンペーンを主催したり、その後ネット選挙運動解禁を目指す「One Voice Campaign」というものをやったんです。その時に有志が50人くらい集まってくれて、ガイアックスの人にも手伝ってもらいつつ、ラジオや新聞に出たりして。この時が僕がインターネットと政治という領域でチャレンジした最初の経験になりました。

ー ご自身のやりたいこととガイアックスの仕事をどのようにリンクさせていったのでしょうか?

佐別当 僕が責任者として携わっていたオンラインゲーム事業は結果的に約2億円の赤字を出していまい、また大きな失敗をしてしまったし、もうガイアックスを辞めようと思っていたんですよね。当時は執行役員をしていたんですけど、役員も外れて、部長として次はどうするかを考えるタイミングでした。

その頃から自分でシェアハウスの運営やAirbnbをやっていて、シェアリング関係のことを色々やっていきたいなという想いがあり、社外での活動として自分でシェアリングサービスの提供者や利用者になったりしていました。ココナラクラウドワークスAsMamaの社長達とは繋がりがあったので、イベントを手伝ったりしながらブログで発信したり。その時にガイアックスがシェアリングエコノミー事業に力を入れていくという意思決定をして、上田さんから手伝ってほしいと声をかけていただきました。そこからシェアリングエコノミーについて発信するメディア「Share!Share!Share!(現Sharing Neighbors)」を作ったり、シェアリングエコノミー協会を立ち上げて事務局長としてガイアックスから出向したり。シェアリングエコノミー業界におけるガイアックスの認知度を高めて、ネットワークや人材が集まるようにどんどん発信していきました。

ー 自分がやっている領域のことをガイアックスの仕事としてもやらせてもらうようになって、いかがでしたか?

佐別当 水を得た魚のような感じでした(笑)。ITも使えるし、政治とも絡められるし、自分の好きなシェアリングという領域ですし。自分の得意領域3つが重なり合った中心地で、またトップランナーになれるという感覚もありましたし、クリエイターの仲間達と一緒に世の中に影響力を与えられるような団体を作れるんじゃないかと思って、仲間集めもイベントもトップスピードでやっていました。「One Voice Campaign」の時に世論がネットを通じてメディアを動かし、最後はトップ(総理)が動けば法律が変わるという体験をしていたので、シェアリングエコノミー協会を立ち上げた時も政府が動けば政策だって作れるという筋道も見えていました。

実はそれまでにも、自分で事業を立ち上げようとしたことがあったんです。自分が30代半ばくらいの頃に、同年代の人達がどんどん社会起業家として活躍し始めていたのを横目に見ながら、自分はなかな上手くいかなくて、おかしいなって。そういう想いをメンター的な存在であるNPO法人ETIC.(エティック)の宮城治男さんに相談したところ、「佐別当くんのタイミングは今じゃないよ。タイミングは向こうからやってくる。自分から探すものではないよ。もしそのタイミングが来た時には、自分の体が勝手に動くから。」と言っていただいて。そこからは焦らずに、できる範囲でやりたいことをやろうという風に気持ちが変わりました。

そして、シェアリングエコノミー協会を立ち上げる際に宮城さんにご挨拶をした時に「どうですか?」とお聞きしたら、「今きたね」と…。
2016年1月にシェアリングエコノミー協会が設立されて、この5年間は自分のこれまでの全てのピースがはまった状態になり、歯車が回り始めた感じがしています。

 

佐別当 隆志

 

待っている人達がいる。失敗の恐怖を乗り越えてADDressは誕生した

ー その頃にNagatacho GRiDの立ち上げもされていますよね?

佐別当 2015年頃にポートランドに行って現地のシェアリングエコノミー企業のオフィスのあり方を見ていて、それがすごく良かったんですよね。オフィスを解放してイベントスペースにしたり、パーティをしたり、オフィスの環境がかなりクリエイティブな状態になっていて。

一方で当時のガイアックスの五反田のオフィスがあまりにもクリエイティブな環境からはかけ離れていたので、変えた方がいいのになという想いもありつつ、永田町の物件が出てきた時に、もし永田町にオフィスができれば、シェアリングエコノミー協会としてはかなりいい展開だと気がついて(笑)。そこからやる気に火がつき、2016年の2〜3月にオフィス移転の話があがって5月頃に経営会議を通り、決定してから1年も経たない2017年2月にNagatacho GRiDはオープンしました。地下1階から6階という規模のビルを短期間で低コストで仕上げるのは大変なことでしたが、「これができたらすごいことになるぞ」という完成した時のゴールイメージだけは持っていました。不動産・建築・リノベーションという文脈では、シェアリングエコノミーの概念をふんだんに取り入れた最先端のトライだったので、業界の第一人者達もこぞって「これは本当にすごいぞ」と言ってくれて。いろんな人達がこのビルに集まってくれて、不動産・建築という領域で人が集まる交差点を作ることができたという、自分の中での成功体験にもなりました。

永田町にオフィスができたことで政治との密接な関係がさらに広がっていき、地方自治体との関係性も深まり、地域の課題をシェアリングエコノミーで解決してほしいというお話をたくさんいただくようになりました。地方では空き家が増えていて、都会には僕のように二拠点生活をしたいと思っている人がいる。そこのギャップがあるなら、うまく埋められる何かができるんじゃないかと思い始めるようになりました。

ー そこがADDressの原点になっているんですね。

佐別当 その頃、シェアリングエコノミー協会をやりながら、個人事業の延長線上でmazelという会社を作ったんです。mazelでは熱海市と連携して事業を立ち上げたり、渋谷区でシェア保育園を作るプロジェクトに携わっていたのですが、どちらも失敗してしまって…。自分でリスクを背負って事業をするのは向いていないんじゃないか、と思うくらい大きなショックを受けて、その後はシェアリングエコノミーのコンサル的な立場で仕事をしていました。

その中で地方の移住・定住者を増やしたいという相談を受けていたのですが、移住・定住ではなく、二拠点生活などをする関係人口を増やす活動を提案して、2〜3ヶ月に一度ゲストを呼んで勉強会や交流会のイベントをするようになりました。

イベントだけではなくて新規事業開発についてもアドバイスをしていて、その時に提案したのが、今のADDressに通じる多拠点生活プラットフォームというアイディアです。交流会でもそのアイディアはとても好評だったのですが、その矢先にコンサル先の企業の上場が決まり、新規事業は一切凍結ということになってしまいました。その頃にはイベントも9ヶ月くらい続けていて、今さら「やりません」とも言えなくて…。せっかく生まれたアイディアを僕が形にしようかとも考えましたが、mazelでの事業の失敗から、自分で事業を始めることに腰が引けてしまっていたんですよね。でも、そんな自分のことがだんだん嫌になってきました。

毎回イベントでの反響が大きくて、地方自治体の方も「うちの空き家を使ってください」「いつから始まるんですか?」と期待してくれる人達がたくさんいました。それなのに自分は、今までトライしてきた事業が失敗したくらいで腰が引けている。これまでシェアリングエコノミー協会をやってきて、課題も見つけて、事業モデルもあって、あとはやるだけじゃないかって。そんなことを散歩しながら考えて、結果的に「やらないなら僕がやっていいですか?」と伝えました。それが2018年の10月前半のことです。

10月中旬から会社設立の準備を始め、11月30日に設立、12月に2500万の資金調達をして、12月20日にLPを発信して「4月1日までに物件を5件と利用者を30人集めます」と発表しました。その時点では物件はゼロでしたが、LPを発信してから3日間で1400人から応募が殺到したんですよ。これは片手間に実証実験をやっている場合じゃない、本気で事業に集中し、もっと資金調達もして、社会変革を起こすくらいのものにしようと関係者で話し合いました。周りの人たちから「佐別当さん、覚悟決めてくださいよ」と突かれる感じでしたね(笑)。そこからの2年間はトップスピードで走り続けてきています。

佐別当 隆志

 

自分の旗を揚げる経験をどれだけ積めるか。トライを重ねて作りたい未来を切り拓く

ー 2年間走り続けてきて、今後はどのようなビジョンを描いていますか?

佐別当 資本主義がこのまま続くわけがないと思っていて、お金を稼ぐだけの企業はもうダサいと思っているんです。利益を出して事業としても成功させつつ、どれだけ社会的なインパクトを残して、幸せな人達を生み出せるか。そこの両立をしていきたいので、僕達は資金調達をする際に株主にもかなりインパクトの部分の話をさせていただいています。

例えば、社会変革推進財団が行なっているインパクト投資(経済的リターンと並行して、社会的・環境的インパクトを同時に生み出すことを意図する投資)をしていただいたり、僕の母校でもある立命館が行う「立命館ソーシャルインパクトファンド」から出資をしてもらったりして、社会的な取り組みを応援しようとする座組みを大きくしていきたくて。
住まいが豊かになると、その人の暮らしや人生や他者との関係性がどんどん豊かになっていくのが目に見えて実感できているので、ADDressのサービスを当たり前のものにしていきたいですね。まずは会員100万人を目指します。

僕は、今まで持ち続けてきた「社会を良くする影響力のある仕事をしたい」という想いをADDressで実現させると決めているんです。リアルな空間や地域の人との交流に加え、建築や不動産やリノベーションなど、自分のやりたかったことを全部詰め込もうと思って始めています。とはいえ、最初の1年くらいは勢いで走ってきたもののキャッシュも尽きかけていて、2年目でいきなり倒産の危機を何回も経験し、精神的にも病みかけていました。
それを乗り越えられたのは、会員さんや地域の人達や家守さん達(ADDressの家での生活をサポートするコミュニティマネージャー)の存在があったからなんです。会社を辞めてライフスタイルを変えてまで来てくれた人達がいて、「生き方が変わった」「今が人生で一番幸せです」と言ってくれる人たちが大勢いる。ADDressのサービスを広げていくことで本当に人を幸せにすることができるのだと実感したので、このサービスを世の中に定着させなければという使命感は強いですね。

ー 最後にメッセージをお願いします!

佐別当 僕の場合は、これまでに色々とトライしてきた結果として今ここにいるのだと思っています。なので、うじうじ考えたり勉強だけしているのではなく、まずは自分で行動・トライすることが大事かなと思います。失敗するかもしれないけど、「自分の旗を揚げる」という経験は多いほどいいのは間違いないです。だから、トライさせてもらえる環境や、トライしている人達が集まっている環境の中に身を置いて、トライすることを自分にとっての「当たり前」にするといいのではないでしょうか。ミラーニューロン(*1)は本当にあると思っていて、どういう人たちに囲まれているかは、自分自身を形作るのに大きく影響すると思うんですよね。「こういう自分になりたい」と描く姿があるなら、そういう人達のいるところに飛び込んでみるのがいいと思います。

あとは、良くも悪くもコロナ以前と以後では社会が大きく変わりますし、2年後くらいからは好景気が来ると思っているんです。そしてアフターコロナに関しては、これまでの延長線上にある未来とは異なる未来を切り拓けるポテンシャルが絶対にあると思っていて。
好景気の時には浮き足立って思考しなくなってしまうと思うので、「延長線上じゃない未来」を生きたい・作りたいと思っている人たちは、この1〜2年でその後に何をするのかを考え抜いて、景気が良くなってきたタイミングでトライするくらいの気概で準備しておくのがいいんじゃないかなと思います。

ー ありがとうございました!

(*1)霊長類などの高等動物の脳内で、自ら行動する時と、他の個体が行動するのを見ている状態の、両方で活動電位を発生させる神経細胞のこと。 他の個体の行動を見て、まるで自身が同じ行動をとっているかのように”鏡”のような反応をすることから名付けられた。

インタビュー:荒井智子
ライティング:黒岩麻衣

編集後記

何度もダイナミックな挑戦をされている佐別当さん。きっと恐怖心なんてないのではないか?と思っていたのですが、そんなことはありませんでした。佐別当さんがご自身の恐怖を乗り越えて踏み出したからこそ、たくさんの人を幸せにするADDressが生まれている。背中で語るとは、こういうことでしょうか。

このインタビュー記事の動画も是非ご覧ください

Vision Notes Episode 7 – ADDress代表取締役社長 佐別当隆志
『多拠点生活プラットフォームADDressをつくった社長の物語』

ガイアックスでは「これから起業したい方」と「ガイアックスで働きたい方」を募集しています

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投資先経営者
1. 「やりたいことがなかった」私が、上場ベンチャーの女性役員になるまでのファーストキャリア – アディッシュ株式会社取締役 杉之原明子
2. 悩んで、向き合い続けたからこそ切り開けた、上場ベンチャーの女性役員というキャリア – アディッシュ株式会社取締役 杉之原明子
3. 上場を経験したからこそできる、「身近な社外の女性役員」という役割 – アディッシュ株式会社取締役 杉之原明子
4. 研究者の道を捨てた僕は、カオス真っ只中のベンチャーで、自分の道を切り拓いてきた – アディッシュ株式会社代表取締役 江戸浩樹
5. 「関係の質が成果の質を生む」仕事は人生の大事な一部だから、人と向き合い、チームを大切にする – アディッシュ株式会社代表取締役 江戸浩樹
6. 27歳にして上場ITベンチャー企業の取締役になった人の、新人時代の話 – アディッシュ株式会社取締役 松田光希
7. 27歳で取締役としてベンチャー企業の上場を経験して見えた景色 – アディッシュ株式会社取締役 松田光希
8. 情熱が成長曲線を左右する。意図を持つことで働き方は変わる – 株式会社Tokyo Otaku Mode 代表取締役社長 小高 奈皇光
9. 人間は、人間らしく働こう。 情熱を持って“自分の”ど真ん中を走り続ける – 株式会社Tokyo Otaku Mode 代表取締役社長 小高 奈皇光
10. 都内7.4%が導入するスマートロックを生んだ男|起業までの道のり ー 株式会社Photosynth代表取締役社長 河瀬航大
11. “キーレス社会”を実現する|70億円調達、会社を率いた6年半 ー 株式会社Photosynth代表取締役社長 河瀬航大
12. 会社づくりもデザインの一環、漫画家の道から起業家へ – 株式会社TRUSTDOCK 代表取締役 千葉孝浩
13. 全力の挫折経験が直感力を磨き、TRUSTDOCKという勝負への道を切り拓いた – 株式会社TRUSTDOCK 代表取締役 千葉孝浩
14. 新時代の価値を生み出す人は20代に何をしていたか ー 株式会社アドレス代表取締役社長 佐別当隆志
15. 定額住み放題サービスADDressが切り拓く、これまでの延長線上“じゃない”未来 ー 株式会社アドレス代表取締役社長 佐別当隆志
佐別当 隆志
2000年2月入社。広報・事業開発を経て、2015年シェアリングエコノミーに特化したWebメディア「Share! Share! Share!」を公開。2016年1月一般社団法人シェアリングエコノミー協会を設立し、事務局長に就任。ガイアックスではブランド推進室に所属。 副業でシェア時代の家族とゲストの一軒家、「Miraie」を運営。New York Timesなど国内外のメディアが注目。
ADDressガイアックス卒業生投資先経営者起業家
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