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気がつけば20年。ディスカッションの場こそがガイアックスの魅力

  • 最終更新: 2022年1月21日

敬意を持って”変人の集まり”と称されることの多いガイアックス。ガイアックスカルチャーともいうべきフリー&フラットな環境の中で、誰しもが己の個性にリミットをかけず自由と責任の中で使命を持って行動する。そんな各人の姿勢が、ガイアックスをして”変人の集まり”と称させる所以ではないでしょうか。

ガイアックスを卒業していった”変人”たちのその後の活躍については枚挙にいとまが無く、それぞれが各フィールドで使命を持って活躍しています。

このブログでは、そんなガイアックスの卒業生たちにスポットを当て、それぞれのストーリーを伺っていきます。

今回お話を伺うのは吉井秀三さん

ガイアックスが株式会社になる前から、ガイアックスにジョインしている超創生期メンバーです。

syuzo.yoshii

吉井秀三

1999年5月ガイアックスへ入社。営業、事業部長を経て、M&Aや子会社のマネジメント、新規事業立ち上げ等に携わる。結婚を機に地方移住を考え退職し鳥取へ移住。地方暮らしの選択肢を増やすため、株式会社ニットの立ち上げにジョイン。リモートで事業企画に従事する傍ら、空き家を活用したイベント運営や、畑で野菜を作ったり、イノシシ猟など地域活動を行っている。
朝活でオンラインを活用した新しい時間を作るHomeroom+にチャレンジ中。

ー おはようございます。今日はよろしくお願いします。

最近ガイアックスを卒業したみんなのかっこいい記事を見ることも多くて、しゃべれるかなぁ(笑)

ー 今もこれ、朝6時ですけど(笑)、吉井さんが最近取り組まれている「朝活」や「地域の活動」なんかも気になってます。お茶飲みながらおしゃべりするくらいな感じでリラックスしてお話してもらえたら大丈夫です。

はい、よろしくお願いします。

1か月のつもりが20年!?ガイアックスで働く面白さ。

ー 吉井さんはそもそもどういう経緯でガイアックスにジョインしたんですか?

ガイアックスが株式会社になる(*1)手前ぐらいの時に参加しました。当時は大学4年生で、就職氷河期ではあったんですが、SEとしての就職先があり、あんまり就職活動するのも嫌だし、まぁそんな感じでいいかなと思いつつ、いつか、10年後くらい?に起業してみたいなと思っているような状況でした。

そんな時に大学1年生の時から学生起業家として活躍している友人に久しぶりに会って、近況を話したんですね。そしたら「10年後に起業したいって考えているなら、SEの会社に10年いても、その10年多分意味ないと思うよ」と言われて。

当時、渋谷界隈で「ビットバレー」と呼ばれるインターネット関連の起業家が集まる場があったんですよね。

*1:ガイアックスは1999年3月有限会社ガイアックスとして創業。同年5月に株式会社化。

ー あぁ、ありましたね!

その前身となるような、起業家や「インターネットを活用してこれからなんか立ち上げるぞ!」というような方達が集まる飲み会にその友人が連れて行ってくれて、名刺交換したのが上田さん(ガイアックス 代表執行役社長 上田祐司)でした。

ー 当時のガイアックスにはどんな方がいらしたんでしょうか?

上田さんの他には、ガイアックスファウンダーの山根麻貴さんと三口さん、現在はPIXTA役員の遠藤健治さん、営業部長の東井さんと上田部長でした。

ー どんな印象を受けましたか?

名刺交換したのは、上田さんと営業部長の東井さんだったかと思います。社長の上田さんは、面白いけど大分個性的だなと(笑)

ー 笑。わかります…。

営業部長の東井さんが面白くて熱い方で。同じ大学4年生だったんですけど、27〜28歳くらいと大分年上で、他のことをしていてそれから大学に入り直したりしていて「なんか、すごいな!」と感じた記憶があります。それで、一度オフィスに遊びに行きますという話になったんです。

ー そして、早速遊びに?

遊びに行ったら、前述の遠藤さんのご自宅がオフィスも兼ねていて、上田さん始め何人かが寝泊まりしているような状況でした。

ー おぉ…。

皆さんとの食事会に参加して、色々話しているうちに「起業って面白そうだな」とか「10年ぐらい経ってから起業するより、すぐに自分で起業してみるのもいいかな」と思うようになりました。

それで、なにかちょっとガイアックスのお手伝いさせてもらえたらなと思って。話をしていると何か関われそうな感じだったので、その日の夜中から手伝うことにしました。

手伝いに入る手前で「ノートパソコン用意してもらわないと仕事できないよ」って言われました。当時は自分でそういったものも用意しないといけなかったので、その日のうちに「やろう」と決めてノートパソコンも用意して…、そんな感じでした!

ー それがガイアックスにジョインしたきっかけなんですね!

ちょっと手伝って帰るつもりだったんですよ(笑)。

当時はまだフロッピーディスクが主流の時代で、ガイアックスがターゲットとしている会社に説明資料をコピーしたフロッピーディスクを送るという営業活動をしていたんです。

そういう作業をやるって話だったので、それなら手伝えそうだなと思って「手伝います」って言ったんですけど…。

実は作業工程をあまり把握してなくて、僕の作業工程がものすごーく最後の方で、みんなはさっさと終わらせて僕だけずーっと残っているような状況になっちゃって。1時間で終わるようなレベルじゃ無くて、なんかもうずーっと一日中やらざるを得ないような状況で(笑)。

椎名林檎さんの曲が永遠と流れていたのを覚えています。でも来たばかりだし文句言える雰囲気でもないしなぁと。

でも、そうやって夜中ずっと作業をやって、朝みんなが起きてきて「終わったー」って確認するところまでの過程のコミュニケーションが楽しくて、あ、なんか面白そうだなと思ったんですね。

ー 当時のガイアックスってどんな事業をしていたんでしょうか?

GCS(ガイアックスコミュニティサービス)というブログのようなサービスをやっていて、それをとにかく広げていこうというフェーズでした。

当時の報酬は成功報酬のような形で、GCSのユーザー獲得1人に対していくらというような条件でした。

例えば、Yahoo!とGCSがつながることができたら、数百万ユーザー×単価が成功報酬になるんですね。すごい!と思ってどうやったら会社の責任者に会えるか?役員に会えるか?そればっかり考えて、片っ端から電話したりしていましたね。

ー なんかすごい…。

当時は各人の役割は一旦置いておいて、全員営業している状態でした。
もう徹底的に「広げるぞ!」というフェーズだったので、全員営業をやる、それ以外のことはやるな、という感じでしたね。

どうやったら社長とアポが取れるのか、当時はテレアポが大きな手段だったから、代表電話からかけてどうやったら社長につながるのか、開発メンバーなんかも含めて全員でロジカルに分析してレビューして、このトークならいけるんじゃないか、というようなことを徹底的にやっていました。

お偉いさんに連絡しまくっているので、当然上田さんのところにはクレームが来たりしていたようなんですけど、「クレームが来るくらいじゃなきゃおかしい」って言ってくれて、クレームが来る=活動しているって認めてくれましたね。

実は、一度メール送信でミスをしてしまったことがあって。
そうすると「メール送信先間違っていませんか?」っていう返信が来るんですよね。で、それがきっかけでアポが取れたりして。

そしたら、送信ミスに関しては「今後気をつけてね」って感じで、でもアポ取れたねと、大きなお咎めはなかったんですよね。寛容だなぁと。

ー 「徹底的にやるときは、とことん集中する」というところと「ミスからも何かをつかむ」姿勢はガイアックスの原点かもしれないですね。今と変わらないなと思いました。

そうかもしれないですね。
そんなところから、1ヶ月のお手伝いと思っていたのが、結局20年近く在籍しました(笑)

ー 1ヶ月の予定が20年…(笑)

やっぱり、メンバーも面白いし「これ面白そう」というネタや「これ手伝ってもらえる?」という話が社内に沢山あって、それが楽しかったからずっといたのかなって感じています。

吉井さん・上田さん・村井さん
ガイアックス20周年 想い出PHOTO集より(吉井さん・上田さん・AppBank 村井智健さん)

常に最新の状況に合った判断をするということ

ー そんな約20年の在籍期間で、ガイアックスの事業も様々に形を変えてきたと思いますが、吉井さんはどんな事業に携わってきましたか?

今回のインタビューに当たって、ちょっと書き出してみたんです。

<ガイアックス>

  • GCS(ガイアックスコミュニティサービス)
  • 韓国大手ポータルとのジョイントベンチャー
  • 名古屋プロジェクト
  • 台湾ゲーム会社・日本ゲーム会社M&A

<子会社>

  • 個人プロバイダーM&A
  • Comitia(CMS)
  • 社内SNS事業立上支援
  • iQube(グループウェアサービス)
  • ネット選挙(青森)
  • シェアリングエコノミー事業
  • notteco(ライドシェアサービス)

<Nagatacho GRiD>

  • ガイアックスオフィス移転

ー 幅広い!子会社の担当も結構されてますね。

実は一度ガイアックスを退職したことがあるんですよね。

ガイアックスが上場(*2)した後のタイミングで「数字が達成できなかったら辞めます!」と宣言していたことがあって…で、数字行かなかったんですよ(笑)。

*2:2005年7月、名古屋証券取引所「セントレックス」に上場

ー あら…。

全然いけると思っていたんですけど、いかなかった。でも宣言した以上、やめたくないなと思いつつも一回退職して、1年くらい他の会社の手伝いなんかをしていました。

でも、そんなにやりたいことがあるわけでもなかったので暇だなぁなんて思っていたタイミングで、ガイアックスも上場した後あまり良い状態じゃなかった部分もあって、子会社をM&Aするから子会社の社長という形で戻ってきてもらえないか?という話を頂きました。

それで、数字作りとか、利益目標というところで貢献しますという形で戻ってきたんです。

そこから、グループを子会社にしていったりとか、ガイアックスの新規事業立ち上げで手が回らないところを支援したりといったことをしていましたね。

syuzo.yoshii

ー 卒業前、最後に携わっていたのがNagatacho GRiDへのガイアックスオフィス移転事業なんですね。

オフィスの移転なのに事業なんですよね(笑)
移転してNagatacho GRiDの事業(*3)をやるぞ!となったんですけど、社内から見ると「なんでそんなことをやらないといけないのか?」「シェアリングって何?」「オフィスがコワーキングスペースになるの?」とよく分からない状況だったんですよね。

*3:シェアリングエコノミーの思想を体現したコミュニティビルの運営事業。2017年本社機能を移転。

ー あー。わかります。ん?なにそれ?って思ってました(笑)

なので、社内への説明や、ブランドイメージ、Nagatacho GRiD事業をやる目的などを理解してもらう、浸透してもらうというのが一つ。

それと、ガイアックスには面白い人達が沢山いるのに五反田(*4)にいちゃダメだなというのがもう一つ。この面白い人達をもっと世の中にさらけ出そうという思いがありました。

*4:Nagatacho GRiDへの移転前にガイアックス本社があった場所

ー ほう?と言うと?

例えば、管理部だったり、BtoBの事業部だったりに、なんというか良い意味で変態的に仕事している人達がいて。例えば、利用規約一つに徹底的にこだわる法務とか。そのこだわりが聞きたくて契約してくれるとか。オウンドメディアのシステムを売っているはずなのに、盛り上げのノウハウやコンテンツに詳しくなりまくっていて、その話が聞きたいから契約してくれるとか。そういう面白い人達が沢山いるのに、あまり表に出てこない。

そういう人達をNagatacho GRiDを作ることで、社外の人達と繋げていって注目されるようになるといいなというようなことを考えていました。

それと、裏の部分もあって。

ー 裏の部分ですか?

会社のカーブアウトとか事業拡大、新規事業なんかを考えていく時に、会計やWEBサイトを作るだとかそういったことが揃っていく中で”オフィス”の部分だけが依然としてネックになっていたんですよね。つまり、年間通してオフィス費用がかかるような状態だと、事業などを拡大していくときにどうしても動きにくくなってしまう。

それなら「1人の人がこの場所に1ヶ月いるといくら必要ですよ」という形に変えたらいいんじゃないかと。

なので、「Nagatacho GRiDに引っ越す」のではなくて、そのタイミングからガイアックスの事業部の人達は、小さいチームでも”オフィス代”を1ID単位で計上するとか、お金がなくてフリーアドレスのエリアを使いたいのであればそうしてください、あるいはお金はあるのでセキュリティ高くしたいのであればその分支払ってもらうということが可能になったということなんです。

逆にガイアックスが儲からなかったら、他の会社を入れても良いし。オフィスの提供というよりも、管理部のサービスをガイアックスのメンバー以外にも提供できるならした方が良いよね、とそういった部分を変えに行ったという面もあるんです。

最初の頃は、そいういったことまでは理解されなくて、不満の声も沢山ありましたけどね(笑)

ー なるほど。約20年のお話を色々伺いましたが、その中で一番思い出深いエピソードって何かありますか。これはもう語り草だ!みたいな。

うーん。一番かはわからないですけど…。nottecoの事業に携わるちょっと前くらいに、事業整理があって、1年かかりで諸々整えて一つはガイアックスの事業に、もう一つは僕が社長になってやっていこうという話をしていた時期があります。

その事業のミッションを作って、あと数日で社名も変更というところまで手続きも進んで、これから使命感持ってやっていこう!というタイミングで急に上田さんから「一つM&Aが決まったからそこの社長やってくれない?」という話が来て…いやぁ、すごいなと(笑)。

実は、それがnottecoだったんですよね。
nottecoはシェアリングエコノミーの概念的なところから浸透させていく段階や、またライドシェアということで既存の法律と戦わないといけない部分もあって、時間のかかる事業だけど「最高裁までいって法律変えるくらいの覚悟決めてやるしかない」「最高裁まで行きましょう、上田さん!」みたいな感じで覚悟を決めてやることになったんです。

最初は2つの社長をやっていたんですけど、段々とnottecoの方に集中しないといけない状況になってきて、平行して「シェアリングエコノミー協会」を立ち上げるというような話もでてきて、議員さんや国との付き合いも次第に増えて行くようなタイミングがありました。

となってきた時に、「最高裁まで行って戦おう!」っていう力強い約束をしていたはずが…「やっぱり戦う姿勢は良くないよ。既存の法律とうまく調整しながらやっていこう」と方向性ががらっと変わった瞬間があった。あれ?(笑)みたいな。

ー nottecoに携わるに当たって二つのびっくりが…(笑)

でも、上田さんの凄いところはそこなんです。常に最新の状況にあった判断をする。その瞬間の最新の情報を正しいと考える。一緒にやっていると辛くなることももちろんあります。でも、そうだよな、と思うんですよね。そこがすごいと思っています。

一度自分の生活を自由にしてみようという思い。そして今。

吉井さんファミリー

ー Nagatacho GRiDの事業をやり遂げて、ガイアックスを卒業を決めた背景にはどういった思いがあったのでしょうか?

Nagatacho GRiDの事業がある程度落ち着いたタイミングで、ちょうどその少し前に結婚したこともあって「家での生活時間を増やしたいな」とか、「家での生活を増やしたいけど家が狭いな」というようなことを考えるようになりました。

ガイアックスでの仕事もこれから何をしていこうかちょうど考えていて、自分の生活も変えたいしと思った時に、ふと振り返ってみると、大体いつも何か差し込まれているなと。

ー 確かに、これまでのお話伺っているとそんな感じですね。

「食」とか「地方で生活する」ということにも興味が出てきたこともありますが、退職する1年前くらいにお酒を辞めたことも大きいかもしれません。

仕事終わってお酒飲んで…それで嫌なことも含めて忘れちゃうんですよね(笑)。でもお酒をやめたら、思考がはっきりしている時間が増えて、考える時間や、自分に向き合う時間も増えました。そんな中で「いつか」と思っているなら、いっちゃおうよという気になったんです。

もしかしたらコロナ禍の今だと少し話が違ってくるかもしれないですけど、その当時はミッションを遂行するためには、やはりそれなりの頻度で東京にいる必要があったと思うんです。そうなると、生活を重視したいという思いとのバランスが崩れる可能性があるなと考えるようになりました。それならガイアックスを辞めて、自分の生活を自由にしようと、そういう思考に変わっていたんですよね。

それで、今、何も決まっていないならちょうど良いタイミングなんじゃないかと思って卒業を決めました。

ー 今は実家のある鳥取県にお住まいですよね?

そうなんですけど、実は実家からは少し離れていて同じ鳥取県でも初めましての場所だったりします。日本全国どこに住んでも良かったんですけど、妻の実家が兵庫なので子供が3歳くらいまでは兵庫か鳥取・岡山辺りにしようと。

なかなか移住先で住む場所を見つけるのは大変でしたが、空き家だったところを借りることができて、今はそこに住んでいます。

ー お仕事はどんな風にされているんですか?ガイアックス在籍中と変わったことはありますか?あるいは、案外変わらなかったり?

ガイアックスを卒業してから鳥取に移住するまでに半年くらいあって、その間に鳥取で仕事を作ろうと思っていたんですけど、結果的に東京の知り合いから「リモートでもいいから手伝ってくれないか」という話をいくつか頂いて「あぁ、そういう働き方もあるのか」と思ってリモートで東京の仕事をいくつか持った状態で移住することになりました。

その中の一つとして、同じガイアックス卒業生の秋沢崇夫さんがやっている株式会社ニットで仕事をしています。

ー お!秋沢さん!ニットではどんなことを?

ちょうど法人化して広げていくようなタイミングで、「色々な人が選択できる社会を作る」とか「仕事を通じてみんなが幸せに過ごせるように」といったミッションやビジョンをまとめていく部分などに携わっていました。

ちょうど自分も地方に移住するし、海外移住したい人もいるだろうし、これから年齢的に介護の話も出てくるだろうし、年取ってシニアになって働くとか、育児とか…そういった様々なハードルで仕事が選べないような人達に対して「仕事をしながら幸せに暮らす」というような状況を作って行くのって良いなぁと。

今までは「世の中を変えるために」という考え方で仕事をしていた部分がありましたが、「働く側」にフォーカスした形で仕事をするのも良いなと感じて、そういうのをニットを通じて広げて行けたらと思っています。

ちょうど自分の生活基盤が変わるタイミングでニットの考え方がマッチした気がします。自分がそういう状態にある上で、お客様のサポートをする。

そういう意味ではガイアックスの考え方とは逆のところにいるのかもしれないです。「こういった社会課題を解決しよう」とか「人と人をつなげるためにこれをしよう」から発想するのではなくて「人の生活」から考えるという感覚でいます。

今は開発関係の話や、バックオフィスの仕組み作りなんかをやっています。これが、稼働の50%くらいかな。

syuzo.yoshii

ー 残りの50%はどんなことをされているのでしょうか?

25%くらいが地域の活動で、他には「Homeroom+」という朝活をやっています。

ー 地域活動はどんなことをやっているのですか?

公民館の支援や、「地域振興会議」という住んでいる地域の課題を話し合う会議に参加したり、他には「学校運営協議会」といって地域住民と一緒に学校の方針を考える会に参加したりしています。

自分たちにとっては、移住者も多いこの地域は良い環境だなと思っている一方で、息子がこれから過ごす環境としてどうなんだろうかと。教育環境や、公民館、学校、地域で提供されているサービスが気になって、変えられる部分があるなら変えていきたいなと思ってこういった活動にも取り組んでいます。

ー 息子さんために環境を整えたいという視点なんですね。

この地域の暗黙のルールを紐解いていくと、実はみんなが「なんとなくこういうルールだろう」と思っていただけで、結局誰が決めたルールなのかもわからなかったり、誰も正しいことは知らなくて明確でないということが結構あったりします。

例えば、みんな学校にはランドセルを背負って通っているのですが、よくよく調べてみたら実はランドセルは選択制だったということがわかったり。選択制だと分かった上でランドセルを選択して背負っているのと、よく分からないけどランドセルを背負うものだと思って背負っているのとでは違いますよね。

そういったことを会議などで質問しまくって蓋を開けていくと、自分の環境は自分で変えていけるし、分からなかったら調べればいい。息子にはそういう風に主体的に育って欲しいと思っています。

そして、そういう”まち”であったら、息子にとっても良い教育の場になるのかなと。

ー 今のお話を伺って、先ほど出てきた「常に最新の状況に合った判断をする」という姿勢が吉井さんにも受け継がれているように感じました。

あぁ。そうかもしれないですね。

ー もう一つの活動。朝活のお話も是非聞かせてください。

元々は、例えば海外の方に食体験を提供するような地域の食関係の仕事を作ろうと思っていたのですが、コロナの影響でそれはできない雰囲気になってしまい、じゃあオンラインで何かできないかなと考えていて。
オンラインということでいうと、自分は5年前からリモートワークをしていて、地域の活動で外に出ることはあるものの、時期によっては1週間家にいるというようなことが元々あったんですね。だから、個人的にはそんなに生活が変わった感じがしていないんです。

一方で、コロナの影響でZoomなどが一気に広まって、オンラインで雑談や活動する時間が増えて、自分としては地方にいながら、ある意味友達が増えたような。これはすごく良いなぁと思って、もっと沢山の人とオンラインでの生活を楽しめるような状況が作れないだろうかと考えるようになったんです。

そうやってみんなオンラインに出てきてくれるようになったのですが、平日日中は仕事しているし、夜はお酒を飲んでいる人が多い。さっき話したように、僕自身はお酒をやめたので、お酒を飲むような時間に起きていなかったりするので、それで朝という活動時間を選びました。

みんなの通勤時間も浮いて、朝なら会えるのでは?と思って様々な方にアポを取り始めたら、年配の方、経営者の方等々に会うことができて、そこで雑談をするというのがすごく良い時間で。このみんなが空いている朝の時間を有効活用できないかと思うようになりました。

そんな雑談の中で、久しぶりにガイアックスファウンダーの山根さんにもお会いする時間があって、何かこれをサービスにできないかということで始めたのが「Homeroom+」です。

ー そういうきっかけだったのですね。どんなサービスになりそうですか?

まずはシニア向けに自分の過去と向き合う「自分史を作る」ということをやっていこいうと思っています。今、世の中で「孤独」という問題も取り上げられていますよね。そういうのをオンラインで解決できるんじゃないかと考えています。

ジムに通うような感覚で「心のフィットネスクラブ」のようなイメージです。「会話」や「問い」に答えていける場が作れるようなアプリになるかなと思っています。一人でも複数人でもできるような。

今は朝の時間で「問い」を作るということをやっています。もう300個くらいできました。様々な人が考えている「問い」やそれに対する回答をデーターベースにして、悩みや思考を可視化することで、自分の悩みに近い人の悩みや思考パターンがわかったりとか、それこそガイアックス創業時の「脳と脳をつなげる」という発想に近いと思うんですけど、そういった思考ルーチンが可視化できると面白いんじゃないかなと思っています。

ー それは、楽しみですね。私も「Homeroom+」覗きにいってみますね。最後に上田さんに一言メッセージをお願いします。

え〜(笑)。そうだなぁ。
ガイアックスを卒業して、一番寂しく感じているのは、これまで沢山聞けていた、上田さんのユニークな視点からの話や、社会起業家的思考を持ったエネルギッシュなメンバーの話があまり聞けなくなってしまったことかな、と思っていて。

でも1年前くらいから、YouTubeで社内の色々な話が出てくるようになりましたよね。実は上田さんのNO CUT(*5)の動画は全部観ています。かなりの情報を出していて、最新の上田さんの思考やみんなの思考が引き続き聞けるようになって、すごいなと思うと同時に本当にとても楽しみにしています。

ガイアックスを卒業しましたが、上田さんを始めとする面白い人達とつながってディスカッションできること、ガイアックスにいて楽しいことってまさにこれだ!と思うので、なかなか表に出てこないような面白い方達のお話もどんどん聞けたら嬉しいです。

上田さん、是非またディスカッションしましょう!

*5:「代表上田の脳内をノーカットで配信!」をコンセプトに上田さんが配信しているYouTube動画

ー 吉井さんありがとうございました。

編集後記
創業からのエピソードも沢山お伺いした今回のインタビュー。創業当時から変わらず脈々と続いているガイアックスらしさの素を垣間見たように思います。そして、吉井さんの中に根付いているガイアックスイズムのようなものも。NO CUTは要チェックですね!

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ガイアックスでは、「ガイアックスの働き方」を深く知るオンライン座談会を毎週開催しています。 「報酬は自分で決める」「上長に拒否権のない部署異動」など、ユニークな働き方について現役メンバーが直接解説。 ガイアックスで働くことに興味をお持ちの方は、現場目線のリアルな働き方をぜひ一度聞いてみませんか?

卒業生に聞いてみた!
1. ハッ!とひらめく 4コマ ワークショップ開催!〜卒業生インタビュー:三田 剛広さん〜
2. 『起業は手段の一つ。冷静に考えて「何をどう実現したいか」それが一番。』卒業生に聞いてみた!シリーズVol.1~ 株式会社Tokyo Otaku Mode小高 奈皇光さん~
3. 『目の前の仕事を120%頑張ることで見つかる小さな火種。それを燃やしていくことがチャンスになっていく』卒業生に聞いてみた!シリーズvol.2~株式会社シェアウィング 代表取締シェア社長 佐藤真衣さん~
4. 『「こうしたい!」「こういう社会を創りたい!」と思う環境に自分を置いてみる。それからどうやっていくかを考える。』卒業生に聞いてみた!シリーズvol.3~株式会社ニューロスペース代表取締役社長 小林孝徳さん
5. 『好きで得意なことを見つけたから、苦労を感じることなく仕事できている今がある』卒業生に聞いてみた!シリーズvol.4~株式会社才流 代表取締役 栗原康太さん
6. 『チャレンジは、自分への投資。”絶対やめた方がいいよ!”のアドバイスはチャンスに変える!』卒業生に聞いてみた!シリーズvol.5~株式会社Banso 代表取締役社長 久保田善博さん
7. Gaiaxを離れる私がこれからGaiaxでやりたいこと
8. 『人が幸せかどうかは「仕事」「家庭」「個」のバランス。着地すべき所に着地すべき。』卒業生に聞いてみた!シリーズvol.6~AppBank 株式会社 村井 智建さん〜
9. 気がつけば20年。ディスカッションの場こそがガイアックスの魅力
Featurenottecoガイアックス卒業生生き方
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  • 最終更新: 2022年1月21日

敬意を持って”変人の集まり”と称されることの多いガイアックス。ガイアックスカルチャーともいうべきフリー&フラットな環境の中で、誰しもが己の個性にリミットをかけず自由と責任の中で使命を持って行動する。そんな各人の姿勢が、ガイアックスをして”変人の集まり”と称させる所以ではないでしょうか。

ガイアックスを卒業していった”変人”たちのその後の活躍については枚挙にいとまが無く、それぞれが各フィールドで使命を持って活躍しています。

このブログでは、そんなガイアックスの卒業生たちにスポットを当て、それぞれのストーリーを伺っていきます。

今回お話を伺うのは吉井秀三さん

ガイアックスが株式会社になる前から、ガイアックスにジョインしている超創生期メンバーです。

syuzo.yoshii

吉井秀三

1999年5月ガイアックスへ入社。営業、事業部長を経て、M&Aや子会社のマネジメント、新規事業立ち上げ等に携わる。結婚を機に地方移住を考え退職し鳥取へ移住。地方暮らしの選択肢を増やすため、株式会社ニットの立ち上げにジョイン。リモートで事業企画に従事する傍ら、空き家を活用したイベント運営や、畑で野菜を作ったり、イノシシ猟など地域活動を行っている。
朝活でオンラインを活用した新しい時間を作るHomeroom+にチャレンジ中。

ー おはようございます。今日はよろしくお願いします。

最近ガイアックスを卒業したみんなのかっこいい記事を見ることも多くて、しゃべれるかなぁ(笑)

ー 今もこれ、朝6時ですけど(笑)、吉井さんが最近取り組まれている「朝活」や「地域の活動」なんかも気になってます。お茶飲みながらおしゃべりするくらいな感じでリラックスしてお話してもらえたら大丈夫です。

はい、よろしくお願いします。

1か月のつもりが20年!?ガイアックスで働く面白さ。

ー 吉井さんはそもそもどういう経緯でガイアックスにジョインしたんですか?

ガイアックスが株式会社になる(*1)手前ぐらいの時に参加しました。当時は大学4年生で、就職氷河期ではあったんですが、SEとしての就職先があり、あんまり就職活動するのも嫌だし、まぁそんな感じでいいかなと思いつつ、いつか、10年後くらい?に起業してみたいなと思っているような状況でした。

そんな時に大学1年生の時から学生起業家として活躍している友人に久しぶりに会って、近況を話したんですね。そしたら「10年後に起業したいって考えているなら、SEの会社に10年いても、その10年多分意味ないと思うよ」と言われて。

当時、渋谷界隈で「ビットバレー」と呼ばれるインターネット関連の起業家が集まる場があったんですよね。

*1:ガイアックスは1999年3月有限会社ガイアックスとして創業。同年5月に株式会社化。

ー あぁ、ありましたね!

その前身となるような、起業家や「インターネットを活用してこれからなんか立ち上げるぞ!」というような方達が集まる飲み会にその友人が連れて行ってくれて、名刺交換したのが上田さん(ガイアックス 代表執行役社長 上田祐司)でした。

ー 当時のガイアックスにはどんな方がいらしたんでしょうか?

上田さんの他には、ガイアックスファウンダーの山根麻貴さんと三口さん、現在はPIXTA役員の遠藤健治さん、営業部長の東井さんと上田部長でした。

ー どんな印象を受けましたか?

名刺交換したのは、上田さんと営業部長の東井さんだったかと思います。社長の上田さんは、面白いけど大分個性的だなと(笑)

ー 笑。わかります…。

営業部長の東井さんが面白くて熱い方で。同じ大学4年生だったんですけど、27〜28歳くらいと大分年上で、他のことをしていてそれから大学に入り直したりしていて「なんか、すごいな!」と感じた記憶があります。それで、一度オフィスに遊びに行きますという話になったんです。

ー そして、早速遊びに?

遊びに行ったら、前述の遠藤さんのご自宅がオフィスも兼ねていて、上田さん始め何人かが寝泊まりしているような状況でした。

ー おぉ…。

皆さんとの食事会に参加して、色々話しているうちに「起業って面白そうだな」とか「10年ぐらい経ってから起業するより、すぐに自分で起業してみるのもいいかな」と思うようになりました。

それで、なにかちょっとガイアックスのお手伝いさせてもらえたらなと思って。話をしていると何か関われそうな感じだったので、その日の夜中から手伝うことにしました。

手伝いに入る手前で「ノートパソコン用意してもらわないと仕事できないよ」って言われました。当時は自分でそういったものも用意しないといけなかったので、その日のうちに「やろう」と決めてノートパソコンも用意して…、そんな感じでした!

ー それがガイアックスにジョインしたきっかけなんですね!

ちょっと手伝って帰るつもりだったんですよ(笑)。

当時はまだフロッピーディスクが主流の時代で、ガイアックスがターゲットとしている会社に説明資料をコピーしたフロッピーディスクを送るという営業活動をしていたんです。

そういう作業をやるって話だったので、それなら手伝えそうだなと思って「手伝います」って言ったんですけど…。

実は作業工程をあまり把握してなくて、僕の作業工程がものすごーく最後の方で、みんなはさっさと終わらせて僕だけずーっと残っているような状況になっちゃって。1時間で終わるようなレベルじゃ無くて、なんかもうずーっと一日中やらざるを得ないような状況で(笑)。

椎名林檎さんの曲が永遠と流れていたのを覚えています。でも来たばかりだし文句言える雰囲気でもないしなぁと。

でも、そうやって夜中ずっと作業をやって、朝みんなが起きてきて「終わったー」って確認するところまでの過程のコミュニケーションが楽しくて、あ、なんか面白そうだなと思ったんですね。

ー 当時のガイアックスってどんな事業をしていたんでしょうか?

GCS(ガイアックスコミュニティサービス)というブログのようなサービスをやっていて、それをとにかく広げていこうというフェーズでした。

当時の報酬は成功報酬のような形で、GCSのユーザー獲得1人に対していくらというような条件でした。

例えば、Yahoo!とGCSがつながることができたら、数百万ユーザー×単価が成功報酬になるんですね。すごい!と思ってどうやったら会社の責任者に会えるか?役員に会えるか?そればっかり考えて、片っ端から電話したりしていましたね。

ー なんかすごい…。

当時は各人の役割は一旦置いておいて、全員営業している状態でした。
もう徹底的に「広げるぞ!」というフェーズだったので、全員営業をやる、それ以外のことはやるな、という感じでしたね。

どうやったら社長とアポが取れるのか、当時はテレアポが大きな手段だったから、代表電話からかけてどうやったら社長につながるのか、開発メンバーなんかも含めて全員でロジカルに分析してレビューして、このトークならいけるんじゃないか、というようなことを徹底的にやっていました。

お偉いさんに連絡しまくっているので、当然上田さんのところにはクレームが来たりしていたようなんですけど、「クレームが来るくらいじゃなきゃおかしい」って言ってくれて、クレームが来る=活動しているって認めてくれましたね。

実は、一度メール送信でミスをしてしまったことがあって。
そうすると「メール送信先間違っていませんか?」っていう返信が来るんですよね。で、それがきっかけでアポが取れたりして。

そしたら、送信ミスに関しては「今後気をつけてね」って感じで、でもアポ取れたねと、大きなお咎めはなかったんですよね。寛容だなぁと。

ー 「徹底的にやるときは、とことん集中する」というところと「ミスからも何かをつかむ」姿勢はガイアックスの原点かもしれないですね。今と変わらないなと思いました。

そうかもしれないですね。
そんなところから、1ヶ月のお手伝いと思っていたのが、結局20年近く在籍しました(笑)

ー 1ヶ月の予定が20年…(笑)

やっぱり、メンバーも面白いし「これ面白そう」というネタや「これ手伝ってもらえる?」という話が社内に沢山あって、それが楽しかったからずっといたのかなって感じています。

吉井さん・上田さん・村井さん
ガイアックス20周年 想い出PHOTO集より(吉井さん・上田さん・AppBank 村井智健さん)

常に最新の状況に合った判断をするということ

ー そんな約20年の在籍期間で、ガイアックスの事業も様々に形を変えてきたと思いますが、吉井さんはどんな事業に携わってきましたか?

今回のインタビューに当たって、ちょっと書き出してみたんです。

<ガイアックス>

  • GCS(ガイアックスコミュニティサービス)
  • 韓国大手ポータルとのジョイントベンチャー
  • 名古屋プロジェクト
  • 台湾ゲーム会社・日本ゲーム会社M&A

<子会社>

  • 個人プロバイダーM&A
  • Comitia(CMS)
  • 社内SNS事業立上支援
  • iQube(グループウェアサービス)
  • ネット選挙(青森)
  • シェアリングエコノミー事業
  • notteco(ライドシェアサービス)

<Nagatacho GRiD>

  • ガイアックスオフィス移転

ー 幅広い!子会社の担当も結構されてますね。

実は一度ガイアックスを退職したことがあるんですよね。

ガイアックスが上場(*2)した後のタイミングで「数字が達成できなかったら辞めます!」と宣言していたことがあって…で、数字行かなかったんですよ(笑)。

*2:2005年7月、名古屋証券取引所「セントレックス」に上場

ー あら…。

全然いけると思っていたんですけど、いかなかった。でも宣言した以上、やめたくないなと思いつつも一回退職して、1年くらい他の会社の手伝いなんかをしていました。

でも、そんなにやりたいことがあるわけでもなかったので暇だなぁなんて思っていたタイミングで、ガイアックスも上場した後あまり良い状態じゃなかった部分もあって、子会社をM&Aするから子会社の社長という形で戻ってきてもらえないか?という話を頂きました。

それで、数字作りとか、利益目標というところで貢献しますという形で戻ってきたんです。

そこから、グループを子会社にしていったりとか、ガイアックスの新規事業立ち上げで手が回らないところを支援したりといったことをしていましたね。

syuzo.yoshii

ー 卒業前、最後に携わっていたのがNagatacho GRiDへのガイアックスオフィス移転事業なんですね。

オフィスの移転なのに事業なんですよね(笑)
移転してNagatacho GRiDの事業(*3)をやるぞ!となったんですけど、社内から見ると「なんでそんなことをやらないといけないのか?」「シェアリングって何?」「オフィスがコワーキングスペースになるの?」とよく分からない状況だったんですよね。

*3:シェアリングエコノミーの思想を体現したコミュニティビルの運営事業。2017年本社機能を移転。

ー あー。わかります。ん?なにそれ?って思ってました(笑)

なので、社内への説明や、ブランドイメージ、Nagatacho GRiD事業をやる目的などを理解してもらう、浸透してもらうというのが一つ。

それと、ガイアックスには面白い人達が沢山いるのに五反田(*4)にいちゃダメだなというのがもう一つ。この面白い人達をもっと世の中にさらけ出そうという思いがありました。

*4:Nagatacho GRiDへの移転前にガイアックス本社があった場所

ー ほう?と言うと?

例えば、管理部だったり、BtoBの事業部だったりに、なんというか良い意味で変態的に仕事している人達がいて。例えば、利用規約一つに徹底的にこだわる法務とか。そのこだわりが聞きたくて契約してくれるとか。オウンドメディアのシステムを売っているはずなのに、盛り上げのノウハウやコンテンツに詳しくなりまくっていて、その話が聞きたいから契約してくれるとか。そういう面白い人達が沢山いるのに、あまり表に出てこない。

そういう人達をNagatacho GRiDを作ることで、社外の人達と繋げていって注目されるようになるといいなというようなことを考えていました。

それと、裏の部分もあって。

ー 裏の部分ですか?

会社のカーブアウトとか事業拡大、新規事業なんかを考えていく時に、会計やWEBサイトを作るだとかそういったことが揃っていく中で”オフィス”の部分だけが依然としてネックになっていたんですよね。つまり、年間通してオフィス費用がかかるような状態だと、事業などを拡大していくときにどうしても動きにくくなってしまう。

それなら「1人の人がこの場所に1ヶ月いるといくら必要ですよ」という形に変えたらいいんじゃないかと。

なので、「Nagatacho GRiDに引っ越す」のではなくて、そのタイミングからガイアックスの事業部の人達は、小さいチームでも”オフィス代”を1ID単位で計上するとか、お金がなくてフリーアドレスのエリアを使いたいのであればそうしてください、あるいはお金はあるのでセキュリティ高くしたいのであればその分支払ってもらうということが可能になったということなんです。

逆にガイアックスが儲からなかったら、他の会社を入れても良いし。オフィスの提供というよりも、管理部のサービスをガイアックスのメンバー以外にも提供できるならした方が良いよね、とそういった部分を変えに行ったという面もあるんです。

最初の頃は、そいういったことまでは理解されなくて、不満の声も沢山ありましたけどね(笑)

ー なるほど。約20年のお話を色々伺いましたが、その中で一番思い出深いエピソードって何かありますか。これはもう語り草だ!みたいな。

うーん。一番かはわからないですけど…。nottecoの事業に携わるちょっと前くらいに、事業整理があって、1年かかりで諸々整えて一つはガイアックスの事業に、もう一つは僕が社長になってやっていこうという話をしていた時期があります。

その事業のミッションを作って、あと数日で社名も変更というところまで手続きも進んで、これから使命感持ってやっていこう!というタイミングで急に上田さんから「一つM&Aが決まったからそこの社長やってくれない?」という話が来て…いやぁ、すごいなと(笑)。

実は、それがnottecoだったんですよね。
nottecoはシェアリングエコノミーの概念的なところから浸透させていく段階や、またライドシェアということで既存の法律と戦わないといけない部分もあって、時間のかかる事業だけど「最高裁までいって法律変えるくらいの覚悟決めてやるしかない」「最高裁まで行きましょう、上田さん!」みたいな感じで覚悟を決めてやることになったんです。

最初は2つの社長をやっていたんですけど、段々とnottecoの方に集中しないといけない状況になってきて、平行して「シェアリングエコノミー協会」を立ち上げるというような話もでてきて、議員さんや国との付き合いも次第に増えて行くようなタイミングがありました。

となってきた時に、「最高裁まで行って戦おう!」っていう力強い約束をしていたはずが…「やっぱり戦う姿勢は良くないよ。既存の法律とうまく調整しながらやっていこう」と方向性ががらっと変わった瞬間があった。あれ?(笑)みたいな。

ー nottecoに携わるに当たって二つのびっくりが…(笑)

でも、上田さんの凄いところはそこなんです。常に最新の状況にあった判断をする。その瞬間の最新の情報を正しいと考える。一緒にやっていると辛くなることももちろんあります。でも、そうだよな、と思うんですよね。そこがすごいと思っています。

一度自分の生活を自由にしてみようという思い。そして今。

吉井さんファミリー

ー Nagatacho GRiDの事業をやり遂げて、ガイアックスを卒業を決めた背景にはどういった思いがあったのでしょうか?

Nagatacho GRiDの事業がある程度落ち着いたタイミングで、ちょうどその少し前に結婚したこともあって「家での生活時間を増やしたいな」とか、「家での生活を増やしたいけど家が狭いな」というようなことを考えるようになりました。

ガイアックスでの仕事もこれから何をしていこうかちょうど考えていて、自分の生活も変えたいしと思った時に、ふと振り返ってみると、大体いつも何か差し込まれているなと。

ー 確かに、これまでのお話伺っているとそんな感じですね。

「食」とか「地方で生活する」ということにも興味が出てきたこともありますが、退職する1年前くらいにお酒を辞めたことも大きいかもしれません。

仕事終わってお酒飲んで…それで嫌なことも含めて忘れちゃうんですよね(笑)。でもお酒をやめたら、思考がはっきりしている時間が増えて、考える時間や、自分に向き合う時間も増えました。そんな中で「いつか」と思っているなら、いっちゃおうよという気になったんです。

もしかしたらコロナ禍の今だと少し話が違ってくるかもしれないですけど、その当時はミッションを遂行するためには、やはりそれなりの頻度で東京にいる必要があったと思うんです。そうなると、生活を重視したいという思いとのバランスが崩れる可能性があるなと考えるようになりました。それならガイアックスを辞めて、自分の生活を自由にしようと、そういう思考に変わっていたんですよね。

それで、今、何も決まっていないならちょうど良いタイミングなんじゃないかと思って卒業を決めました。

ー 今は実家のある鳥取県にお住まいですよね?

そうなんですけど、実は実家からは少し離れていて同じ鳥取県でも初めましての場所だったりします。日本全国どこに住んでも良かったんですけど、妻の実家が兵庫なので子供が3歳くらいまでは兵庫か鳥取・岡山辺りにしようと。

なかなか移住先で住む場所を見つけるのは大変でしたが、空き家だったところを借りることができて、今はそこに住んでいます。

ー お仕事はどんな風にされているんですか?ガイアックス在籍中と変わったことはありますか?あるいは、案外変わらなかったり?

ガイアックスを卒業してから鳥取に移住するまでに半年くらいあって、その間に鳥取で仕事を作ろうと思っていたんですけど、結果的に東京の知り合いから「リモートでもいいから手伝ってくれないか」という話をいくつか頂いて「あぁ、そういう働き方もあるのか」と思ってリモートで東京の仕事をいくつか持った状態で移住することになりました。

その中の一つとして、同じガイアックス卒業生の秋沢崇夫さんがやっている株式会社ニットで仕事をしています。

ー お!秋沢さん!ニットではどんなことを?

ちょうど法人化して広げていくようなタイミングで、「色々な人が選択できる社会を作る」とか「仕事を通じてみんなが幸せに過ごせるように」といったミッションやビジョンをまとめていく部分などに携わっていました。

ちょうど自分も地方に移住するし、海外移住したい人もいるだろうし、これから年齢的に介護の話も出てくるだろうし、年取ってシニアになって働くとか、育児とか…そういった様々なハードルで仕事が選べないような人達に対して「仕事をしながら幸せに暮らす」というような状況を作って行くのって良いなぁと。

今までは「世の中を変えるために」という考え方で仕事をしていた部分がありましたが、「働く側」にフォーカスした形で仕事をするのも良いなと感じて、そういうのをニットを通じて広げて行けたらと思っています。

ちょうど自分の生活基盤が変わるタイミングでニットの考え方がマッチした気がします。自分がそういう状態にある上で、お客様のサポートをする。

そういう意味ではガイアックスの考え方とは逆のところにいるのかもしれないです。「こういった社会課題を解決しよう」とか「人と人をつなげるためにこれをしよう」から発想するのではなくて「人の生活」から考えるという感覚でいます。

今は開発関係の話や、バックオフィスの仕組み作りなんかをやっています。これが、稼働の50%くらいかな。

syuzo.yoshii

ー 残りの50%はどんなことをされているのでしょうか?

25%くらいが地域の活動で、他には「Homeroom+」という朝活をやっています。

ー 地域活動はどんなことをやっているのですか?

公民館の支援や、「地域振興会議」という住んでいる地域の課題を話し合う会議に参加したり、他には「学校運営協議会」といって地域住民と一緒に学校の方針を考える会に参加したりしています。

自分たちにとっては、移住者も多いこの地域は良い環境だなと思っている一方で、息子がこれから過ごす環境としてどうなんだろうかと。教育環境や、公民館、学校、地域で提供されているサービスが気になって、変えられる部分があるなら変えていきたいなと思ってこういった活動にも取り組んでいます。

ー 息子さんために環境を整えたいという視点なんですね。

この地域の暗黙のルールを紐解いていくと、実はみんなが「なんとなくこういうルールだろう」と思っていただけで、結局誰が決めたルールなのかもわからなかったり、誰も正しいことは知らなくて明確でないということが結構あったりします。

例えば、みんな学校にはランドセルを背負って通っているのですが、よくよく調べてみたら実はランドセルは選択制だったということがわかったり。選択制だと分かった上でランドセルを選択して背負っているのと、よく分からないけどランドセルを背負うものだと思って背負っているのとでは違いますよね。

そういったことを会議などで質問しまくって蓋を開けていくと、自分の環境は自分で変えていけるし、分からなかったら調べればいい。息子にはそういう風に主体的に育って欲しいと思っています。

そして、そういう”まち”であったら、息子にとっても良い教育の場になるのかなと。

ー 今のお話を伺って、先ほど出てきた「常に最新の状況に合った判断をする」という姿勢が吉井さんにも受け継がれているように感じました。

あぁ。そうかもしれないですね。

ー もう一つの活動。朝活のお話も是非聞かせてください。

元々は、例えば海外の方に食体験を提供するような地域の食関係の仕事を作ろうと思っていたのですが、コロナの影響でそれはできない雰囲気になってしまい、じゃあオンラインで何かできないかなと考えていて。
オンラインということでいうと、自分は5年前からリモートワークをしていて、地域の活動で外に出ることはあるものの、時期によっては1週間家にいるというようなことが元々あったんですね。だから、個人的にはそんなに生活が変わった感じがしていないんです。

一方で、コロナの影響でZoomなどが一気に広まって、オンラインで雑談や活動する時間が増えて、自分としては地方にいながら、ある意味友達が増えたような。これはすごく良いなぁと思って、もっと沢山の人とオンラインでの生活を楽しめるような状況が作れないだろうかと考えるようになったんです。

そうやってみんなオンラインに出てきてくれるようになったのですが、平日日中は仕事しているし、夜はお酒を飲んでいる人が多い。さっき話したように、僕自身はお酒をやめたので、お酒を飲むような時間に起きていなかったりするので、それで朝という活動時間を選びました。

みんなの通勤時間も浮いて、朝なら会えるのでは?と思って様々な方にアポを取り始めたら、年配の方、経営者の方等々に会うことができて、そこで雑談をするというのがすごく良い時間で。このみんなが空いている朝の時間を有効活用できないかと思うようになりました。

そんな雑談の中で、久しぶりにガイアックスファウンダーの山根さんにもお会いする時間があって、何かこれをサービスにできないかということで始めたのが「Homeroom+」です。

ー そういうきっかけだったのですね。どんなサービスになりそうですか?

まずはシニア向けに自分の過去と向き合う「自分史を作る」ということをやっていこいうと思っています。今、世の中で「孤独」という問題も取り上げられていますよね。そういうのをオンラインで解決できるんじゃないかと考えています。

ジムに通うような感覚で「心のフィットネスクラブ」のようなイメージです。「会話」や「問い」に答えていける場が作れるようなアプリになるかなと思っています。一人でも複数人でもできるような。

今は朝の時間で「問い」を作るということをやっています。もう300個くらいできました。様々な人が考えている「問い」やそれに対する回答をデーターベースにして、悩みや思考を可視化することで、自分の悩みに近い人の悩みや思考パターンがわかったりとか、それこそガイアックス創業時の「脳と脳をつなげる」という発想に近いと思うんですけど、そういった思考ルーチンが可視化できると面白いんじゃないかなと思っています。

ー それは、楽しみですね。私も「Homeroom+」覗きにいってみますね。最後に上田さんに一言メッセージをお願いします。

え〜(笑)。そうだなぁ。
ガイアックスを卒業して、一番寂しく感じているのは、これまで沢山聞けていた、上田さんのユニークな視点からの話や、社会起業家的思考を持ったエネルギッシュなメンバーの話があまり聞けなくなってしまったことかな、と思っていて。

でも1年前くらいから、YouTubeで社内の色々な話が出てくるようになりましたよね。実は上田さんのNO CUT(*5)の動画は全部観ています。かなりの情報を出していて、最新の上田さんの思考やみんなの思考が引き続き聞けるようになって、すごいなと思うと同時に本当にとても楽しみにしています。

ガイアックスを卒業しましたが、上田さんを始めとする面白い人達とつながってディスカッションできること、ガイアックスにいて楽しいことってまさにこれだ!と思うので、なかなか表に出てこないような面白い方達のお話もどんどん聞けたら嬉しいです。

上田さん、是非またディスカッションしましょう!

*5:「代表上田の脳内をノーカットで配信!」をコンセプトに上田さんが配信しているYouTube動画

ー 吉井さんありがとうございました。

編集後記
創業からのエピソードも沢山お伺いした今回のインタビュー。創業当時から変わらず脈々と続いているガイアックスらしさの素を垣間見たように思います。そして、吉井さんの中に根付いているガイアックスイズムのようなものも。NO CUTは要チェックですね!

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卒業生に聞いてみた!
1. ハッ!とひらめく 4コマ ワークショップ開催!〜卒業生インタビュー:三田 剛広さん〜
2. 『起業は手段の一つ。冷静に考えて「何をどう実現したいか」それが一番。』卒業生に聞いてみた!シリーズVol.1~ 株式会社Tokyo Otaku Mode小高 奈皇光さん~
3. 『目の前の仕事を120%頑張ることで見つかる小さな火種。それを燃やしていくことがチャンスになっていく』卒業生に聞いてみた!シリーズvol.2~株式会社シェアウィング 代表取締シェア社長 佐藤真衣さん~
4. 『「こうしたい!」「こういう社会を創りたい!」と思う環境に自分を置いてみる。それからどうやっていくかを考える。』卒業生に聞いてみた!シリーズvol.3~株式会社ニューロスペース代表取締役社長 小林孝徳さん
5. 『好きで得意なことを見つけたから、苦労を感じることなく仕事できている今がある』卒業生に聞いてみた!シリーズvol.4~株式会社才流 代表取締役 栗原康太さん
6. 『チャレンジは、自分への投資。”絶対やめた方がいいよ!”のアドバイスはチャンスに変える!』卒業生に聞いてみた!シリーズvol.5~株式会社Banso 代表取締役社長 久保田善博さん
7. Gaiaxを離れる私がこれからGaiaxでやりたいこと
8. 『人が幸せかどうかは「仕事」「家庭」「個」のバランス。着地すべき所に着地すべき。』卒業生に聞いてみた!シリーズvol.6~AppBank 株式会社 村井 智建さん〜
9. 気がつけば20年。ディスカッションの場こそがガイアックスの魅力
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