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ガイアックスを巣立ったメンバー間に “共通言語”が存在している〜ピクスタ株式会社 古俣大介氏インタビュー(後編)〜

  • 最終更新: 2023年9月6日

PIXTA(ピクスタ)」は、プロ・アマ問わずクリエイターたちが写真・イラスト・動画素材を投稿・販売できるマーケットプレイスです。2006年5月末のオープンから着実に成長を遂げ、2015年9月東証券マザーズへ上場しました。いまや、圧倒的な国内シェアとなったPIXTAを運営するピクスタ株式会社 代表取締役社長の古俣大介さんも、ガイアックスを卒業した起業家の一人です。ガイアックスの上場10周年にあわせてインタビューをさせて頂きました。

前編はこちらから
»PIXTAを経営する上でも肝に銘じているパラダイムシフトとは?〜ピクスタ株式会社 古俣大介氏インタビュー(前編)〜

――御社の事業概略からお聞かせください。 
古俣:「PIXTA」という、デジタル素材のマーケットプレイスの運営をメイン事業としています。この「PIXTA」は、誰もが自由に写真やイラスト、動画といったデジタルコンテンツを投稿できるWebサイトで、プロ・アマを問わず、現在約17万人の投稿者が利用しており、今年の5月でオープン9周年を迎えました。それらのデジタルコンテンツを購入者が素材としてダウンロードし、様々な広告や制作物に活用しています。インターネットは、不特定多数の人と人とを、必要に応じて結びつけるという大きな特性を持っていますが、私たちはそれを最大限に活かし、自分の才能を発揮したい人とそれを必要とする人をマッチさせることを目的としています。「PIXTA」は写真、イラスト、動画のマーケットプレイス分野において、日本でもっともイニシアチブをとっているサイトに成長を果たしたと自負しています。

 

 

古俣:代々、自営小売業を営む家系に生まれたことも影響しているのかもしれませんが、ソフトバンクの孫正義さんの本や、H.I.Sの澤田秀雄さんのインタビュー記事などを通じ、10年ほど前のベンチャー騎手のような、エキサイティングな人生を送りたいと思っていました。“会社員になる”という選択肢などまったく考えられずに学生時代に起業。たった一人きりで、月50~100万円程度の売り上げ規模を有するECサイトを運営していました。当時、1999年後半からネットバブルが興っており、松山大河さんやネットエイジの西川さんらが中心となっていた「ビットバレー」というムーブメントが非常に勢いづいている状況でした。

とはいえ、地道にECサイトを運営していた私にとって、それらの動きに注視しながらも少し距離を感じていたのは確か。ところが、小売業を営んでいた父の知人が、ガイアックスの社長を知っているという話を聞き、当時、「ビットバレー」の中心的存在であった上田社長に会ってみたいという衝動に駆られたのです。その知人を経由して会いにいったのですが、実際に話を伺って感銘を受けました。特に「最短でゴールにたどり着く」「可能性にふたをしない」という二つの考えには、これまでコツコツ積み上げていくビジネススタイルを良しとする私としても衝撃を覚えたものです。もちろん、ビジネスには何よりも資金が大切で、それも数千万円ではなく、5億とか10億のオーダーの資金を最短で集めて、スピーディに事業を拡大するという考え方が存在するということは理解していました。ところがそれは、少し離れた世界で起こっていることなのだという意識が働いていたのです。しかし、当時25歳という若さの上田社長の話を聞いて一気に実感が湧き、“自分もここに入って、いますぐに体験しなければヤバいんじゃないか”と思い、その場で、こちらから入社をお願いしたのです。
――ガイアックスに在籍していた時代の思い出を教えてください。
古俣:当時は営業職として、ガイアックスが提供する企業向けコミュニティサイトの提案活動を行っていました。オフィスは渋谷警察署の目の前のビルにあって、40坪ほどの大きさだったと記憶しています。私は入社10人目の社員だったのですが、ほとんどが同世代のインターンや新卒ばかりという状況。ところが、会話の次元が違っていました。創業して1年も経っていない企業でありながら、会議では「海外をどう展開しようか」なんて話が普通に行われている。私は元々、起業家予備軍としての貴重な体験期間と捉え、10ヶ月ほど在籍して卒業を果たしたのですが、実際にそれから数カ月以内に10カ国にまで展開するに至りましたから、それが理想だけではなく、本当に実現させるのだという実行力に驚異を感じました。さらに感心したのは、上田社長が年齢や立場、能力に関係なく、すべての社員に期待をかけているその姿。どんな人にも可能性があると信じ、全身全霊で指導し、時間をかけてレビューをするなど、なかなかできるものではないと感じました。フラットな組織作りにも新鮮味を感じました。減点主義ではなく加点主義となっており、失敗しないことやマイナスを生み出さない意識などどうでもよく、会社を前進させる意欲のみが抽出され強固な発信力となります。組織の風通しがよければ意志決定も速まり、スピーディな推進力が生まれます。印象的だったのは「俺、聞いていない。私、聞いていない」という発言が一番嫌われるということ。情報は誰もが見ることができる状態にしておいて、誰もが自ら取りにいかなければならいという状況をつくっていました。知っているという前提で仕事をするため、報告するとか許可を取りに行くという行為もなくなります。このような動きは、今でも私の組織運営に対する考えの根底にあるのです。
――ガイアックスで得たモノは、その後の起業、経営にどのような影響を及ぼしましたか。
古俣:ガイアックスで経験した10ヶ月を境にして、私のビジネスに対するアプローチは大きく変わりました。ただ、ガイアックスのようにいくつものビジネスを同時に立ち上げるスタイルではなく、あくまでひとつの事業をコツコツ育てるやり方、それが自分には1番合っているのだと自覚しつつも、ガイアックスの中で体感した、加速、拡大する方法論に影響を受けたのです。また、私が独立した後も、上田社長には取締役として参画をいただきました。ベンチャーとして、スタートアップとして起業して、大きく拡大していきたいと考えると、様々なガイドが必要になります。特に資金調達は、経験者でないと詳細がわからないものです。様々な危険が潜み、失敗も起こしやすい。上田社長は、そういった局面においても幅広く的確な知識を持っており、ややこしい場面でメールをすると、すぐに回答をくださいました。それで何度かピンチを切り抜けることができたのも確かですし、あのときのアドバイスがなかったら、こうして上場などできてはいなかったと思います。他にもメンターとして、重要な判断を要する際に相談すれば、私が気づかなかった視点からするどいアドバイスをいただきましたし、しかもありがたいことにそれを押しつけることなく、「別にどっちでもいいんだけどね」と最終選択を私に託してくださいます。そこに上田社長の優しさを感じました。創業から10年を迎え、上場を果たした当社はとって、ベースとしてきたひとつの事業から、もっと枠を広げるべきタイミングが訪れたと捉えています。今後の成長の柱はいくつかあります。まずひとつは定額プランの導入を行いましたので、これを発展させていきます。さらに動画素材の強化と海外展開にも注力していきます。昨今、起業熱の高まりを感じており、とても好ましい傾向にあると思っています。新しい産業や既存の枠組みにとらわれない事業は、これまでも起業家が生み出してきましたし、それが欧米諸国に比べて絶対量が不足していると言われています。その母数が増えれば増えるほど、日本の経済、産業は活性化されることでしょう。これから東アジア、東南アジアが成長していくのは間違いないので、日本がどんどん存在感を生み出していけるような、そんな事業が生まれることは、日本の将来に大きく関わっていくことと考えます。僕らもそのチャレンジをはじめたところです。
――ガイアックスのメンバーにメッセージをお願いいたします。
古俣:ガイアックスを巣立ったメンバーで交流を図る機会もあります。お互い、どのように仕事を進めているかまではよくわかりませんが、会って話すときには少なくとも共通言語のようなものがあって、ものすごく話が通じあえるし安心感があります。恐らくみんな、ガイアックスで同じような感性をはぐくみ、同じようなモノを得たからこそ、そのベースの上で話ができるのかもしれません。こうして私たちピクスタも上場を果たすことができましたが、やはりここまで来ることができたのはガイアックスでの経験や上田社長のバックアップがあったからこそ。最大限の感謝をしたいと思っていますし、これからのガイアックスの展開も非常に楽しみにしています。私と同じようにガイアックスで修行を積んだり、様々な機会を得て、そこから起業したりする人や、大きく成長する企業も今後、必ず生まれてくると思います。そういった方々と切磋琢磨していくことも楽しみにしています。私もガイアックス・ファミリーの一員として恥じないよう、全力でがんばっていきたいです。


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