こんにちは、社内報じゃない報編集部の西川です。
さて今回からはいよいよ大型新企画、「プロジェクトストーリー」がスタートします!
第一弾は社内でも長い歴史をもつエアリー事業。これから7話にわたってご紹介します。
初回の舞台は2006年の暮れ、エアリー事業の前身である内定者向けSNSサービス『エアリーフレッシャーズ』がまさに生まれようとしていました。
どのようにして事業が始まったのか?まさに原点に迫りたいと思います。
佐別当さん、木村さんにインタビューを行ったので、その様子をご紹介します。
それではどうぞ!
ガイアックス初のパッケージ型ビジネスのモデル事業を創れ
西川
「今日はエアリーの事業がまさに始まった時期のことを色々聞かせてください。どうぞよろしくお願いします。さっそくですが、事業の最初のきっかけとはなんだったんでしょうか?」
木村
「話が初めて出たのは2006年夏だったかな。コンサルティング業界大手の某社が内定者交流用のSNSを試験導入したというニュースがあって、うちもSNSが専門だしやったらどうかという意見が出たんですよ。ちょうどmixiがブレイクして世の中にSNSという言葉が浸透してきた時期だったし。
で、本当に動き出したのは12月。当時僕は採用を担当していたんだけど社内で役員と話していて『内定者SNSいいんじゃないの?ほら、採用やってるし、どうなの?』と言われて。社長も乗り気だったので、ひとまず僕と社長の二人でとりあえずリサーチを始めたんですよ。」
西川
「びしっと会議でやろうと決めたというより緩やかに始まったんですね。当時はどんなことを話し合っていたんですか?」
木村
「当時のガイアックスは受託開発型のビジネスが中心で、一件何千万円という規模の大型案件ばかりを扱っていたんですよ。だけどクラウドが発達してきてこれからはASP(アプリケーションサービス提供者)が低価格でパッケージ型のサービスを提供する形がもっと流行するだろうと。だからうちもこれを機にパッケージビジネスをやろう、パッケージ型のランニングビジネスの見本となる事業の立ち上げをやろう、という話をしていましたね。」
佐別当
「僕らは新しいガイアックスの時代を作るという共通の認識を持っていたんだ。内定者向けという切り口でまずは始めるけど、それを汎用的な法人向け社内SNSパッケージとして広く拡販していこう。それが僕らのミッションだね、という話をしていたよ。」
これは単なる事業の立ち上げではなくて、会社の将来をも背負った挑戦だったんですね。
インタビューの際もこの話になると二人の口調も熱を帯びていました。
その後いよいよ実際の事業立ち上げが始まります。具体的にはどのように展開していったのか、更に質問してみました。
当初から事業立ち上げに携わってた木村さん。ガイアックスの新たな時代のビジネスを創るんだという熱い想いを語ってくれました。
リミットは3か月 全てが綱渡り
西川
「やろうという方針が決まって、その後は具体的にどうやって進めていったんですか?」
佐別当
「年末に僕が合流して、佐別当・木村・上田社長の三人に当時いたインターン生を加えて進めることになったんだ。まず2007年の4月にはリリースしようということだけ決まってたんだけど、それでプレス打とうと決めた予定日が1月20日くらい。」
西川
「はやっ!!(笑)」
木村
「そういうノリだったから、『資料出来てプレス打てば営業開始できるから、3月末までに開発してよ。社長よろしく』って(笑)。4月が商戦なのに、どう考えても開発間に合わない!でもまるで商品が手元にあるかのごとく営業を進めていました(笑) 開発については自社でやっていては間に合わないから、リスクはあるけど社長が見つけてきたオープンソースのSNSを使おうと。サービス名は内定者ということで『フレッシャーズ』と命名しました。
どんな機能を載せるかについては社長のセンスが良くて、社長が人事が喜ぶ機能についていろんなアイディアを出していましたね。以前僕も会社の採用担当をやっていたので何が必要なのかある程度分かっていたし。」
本当に全部がギリギリの綱渡りだったんですね・・・僕ならば胃に穴が空きそうな話です。。
「目標100社」宣言!理想と決意
木村
「それから当時議論になったのが年間目標導入社数をどうするかっていう問題。当時全体会議で佐別当さんがいきなり『今年中に100社だ!』なんて言い出して、僕らはもう『えー!?』って声出して驚いちゃった(笑) というのもまだ商品も出来ていないし人手も足らないし、頑張っても60社が限界でしょって思ってたから、かなり議論になったんです。」
西川
「佐別当さんの大胆発言!でもなんで100社だなんて言ったんですか?」
佐別当
「さっきも話に出たけど、それまでうちは一件数千万~1億円くらいの案件ばかりやっていたんだ。今回は一件につき数十万円の売上だから、年間数十件程度じゃあ1000万~2000万円くらいにしかならない。それだけ何人も人を投資してたったの売上2000万円かよ、という空気があったんだよね。」
木村
「そうそう。それくらいの規模の案件なら営業一人で取ってくればいいじゃん。過剰投資だろ!みたいな雰囲気だったんですよね。」
当時のエアリーチームの様子を活き活きと語る佐別当さん
佐別当
「それにまだパッケージビジネスの意義も社内にあんまり伝わってなかったしね。100くらいいっとかなきゃ、と。」
木村
「佐別当さんは会社全体のことを考えて100っていう数字を出したんです。とはいえ達成できなければ目標の意味がないから、最終的にはまず60社を目指そうということになりました。それでも結構すげーじゃん!と思っていたし(笑) それと5月末までに20社への導入が達成できなければこの事業は諦めようっていうことも決めていましたね。」
こうして目標が決まり、ついに歩みだしたエアリーフレッシャーズ事業。
困難につぐ困難で大変な時期だったと思いますが、二人とも実に楽しそうに当時を振り返っていたのがとても印象的でした。
第二話では波乱万丈な一年目のエアリーチームの奮闘ぶりを存分に語ってもらいます!